正宗白鳥を読む
正宗白鳥の文章を「音楽のようだ」と評したのは小林秀雄だ。
書かれている内容以上に、文章の流れに滞りがないことは、白鳥の人柄を語っている。
けれんみがない。
客観的な描写に作家の誠実さが感じられる。
これはよく言われるニヒリスト、シニシズムを隠そうともしない客観描写なのだ。
白鳥を読もうと思い立って、すでにだいぶ前に「新編 作家論」を読んでいる。
また「世界漫遊随筆抄」を読んだ。
昨今のオーバーツーリズムの状況から見ると、外遊が特別な出来事だった時代に、坦々と、気張らず「漫遊」する白鳥の目線の低さ、というか安定に、読者は引き寄せられる。
乏しい官費留学生だった夏目漱石の書いたものを読むのは少し辛い。
白鳥が初めてアメリカ、フランス、イタリア、イギリス、ドイツを遊歴したのは、1929年50歳の時だった。約1年の長期の旅である。
2回目は1936年、57歳の時で、ロシアから欧州を漫遊して、アメリカに渡っている。
今の旅行からすると、途中でフランス語を習ったり、至極悠然とした道行きだ。
白鳥の旅行記には「旅情がない」とあとがきに大嶋仁が書いている。
また近代日本文学にまれにみる、ナルシシズムのない作家だともいう。
自己についても他者と同様に観察するドライな視線が感じられる。
いつも「つまらん。つまらん」を連発し、多量の読書をこなし、興味の赴くところ、よく出かけ、たゆまず書き続けた人は、深い好奇心を満たす対象を絶えず求めていたのだろう。
リュックを逆さに背負った姿がしばしば目撃されていて、白鳥の飾らぬ姿勢、こだわりのない態度がこのエピソードに集約されているようだ。
ニュートラルな観察眼は、イデオロギーにとらわれず、何か本然ともいえる直観に支えられているようにみえる。
自身を信じていたかどうか、は知れない。
しかし確かに自分しか信じない人しか、ああまでつけつけとは書けないような気もする。
「白鳥随筆抄」には当時の文壇の雰囲気がよくあらわれている。
白鳥はごく若い頃に、内村鑑三に感化され、洗礼まで受けている。
キリスト教も白鳥のニヒリズムに少なからぬ影響を与えているはずだ。
「内村鑑三 我が生涯と文学」は、評伝文学として評価の高いものだ。
是非読んでみよう。
白鳥の本が手に入りにくい。
批評家としての白鳥の姿勢と手法に学びたい読者にとっていたいところだ。
※ 白鳥随筆 正宗白鳥 著 講談社文芸文庫(’15.5)
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