「ゼロ・グラビティ」
ホームの上映会で、2013年公開の「ゼロ・グラビティ」を観る。
スペースシャトルに宇宙ゴミが激突、破損し、乗組員が宇宙空間に放り出される。
死亡者は果てしない宇宙の藻屑となって未来永劫に漂流するだろう。
死と隣り合わせの宇宙空間で続発する困難を克服して、地球に帰還できたのはヒロインただ一人だけだ。
3D画像でなくとも、映像の力に圧倒された。
製作者側は劇場に足を運ばせたかったのだろうが、テレビ画面でも十分に作品の意図は達せられたと思う。
人類にとっての最後のフロンティアである宇宙空間が、決して人を生存させる環境でないことを思う時、地球だけが私たちを育んでくれる、そのかけがえのなさを改めて痛感させずにはおかない。
特にこの映画が公開されて10年が経過する間にも、気候変動はさらに加速した。
この映画の暗喩は、製作者の意図を超えて、強烈な文明批評になった。
監督は「視覚的暗喩」という言葉で、日常の逆境を重ね、観客に勇気を与えたかったと言うが、それは興行の成功を狙う、あと講釈にしか聞こえない。
奇しくも、映像の完成度が、製作者の目論見以上を、つまりは生存の困難、死の圧倒的孤独、文明の袋小路、…etc.を観客に感じさせることになったと思う。
映画はヒロインに「宇宙なんて大嫌い!」という台詞を言わせている。
技術集約的なミッションが、却って宇宙の摂理への傲慢で姑息な反逆にしか見えてこない。
この映画のすばらしさは映像にある。
科学的虚偽はいたって少なく、宇宙飛行士経験者からみても、宇宙空間のリアリティはまず保証されている。
映画は、七面倒な形而上学よりも、ただ映像に尽きるという気がするのだ。
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