家を去る時
夕食を終え、さあこれからは至福の時。
暮れなずむ街の灯を眺めながら
すみれ色の夕景が次第に濃くなってゆくとともに
読書への集中度も上がってゆく…
何てことには、今夜はならなかった。
窓辺のテーブルの周囲に
一人また一人と女が集まってくると
それも経験値の高い(年齢が高いだけではない!)女たちである。
三人寄れば姦しい、というが話題は尽きない。
今日の卓球の話からそれぞれの運動能力の高さを評価しあい
ボヤ騒ぎの経験から緊急時の対処の仕方まで。
ダイニングに置かれたピアノのメンテナンスはどうなっているのかしら
と、心配するピアノ愛好家は、グランドピアノの支えを外して、屋根を閉じる。
時々自宅を離れて、アジールへ退避?してくる余裕派が
老後を迎えてからの配偶者との意見の不一致をかこつと
話は一気に佳境に入る。
まだまだ解決を見ないジェンダー論である。
この結論はなかなか出ないだろう。
おそらく団塊の世代が死に絶えるまで?
老人ホームの使い方も様々である。
まだ自宅で十分、自立して生活できる、と思っているうちに
時は無慈悲に過ぎてゆく。
誤嚥が、心臓が、足がおかしい、と気づいた時はすでに遅い。
最後に一人、家に取り残されてみれば
独居はあまりにリスキーだ。
人生の先輩諸氏から教えられることはあまりに大きい。
自由闊達に話す姿勢が、今までの生き方そのものを推測させ
尊敬の思いがふつふつとわいてくる。
老人ホームでこのような交流が生まれるとは!
出会いを提供してくれたのは偶然にせよ、ほかならぬ当ホームである。
これからは時代も環境も激しく変わってゆくことだろう。
激動のさなかで、私たちは最後まで人間的にふるまえるだろうか…
そんなことをちょっぴりシリアスに考えさせもする。
↓ 7年前、こちらに入居する前のことになりますが
母と体験入居した時のヴィンテージ・ヴィラの記録です。
https://freeport.seesaa.net/article/201709article_5.html
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