死なれちゃったあとで

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コロナ禍で通夜や告別式に親しい人も呼べず、十分な別れの儀式をできなかった無念の思いを抱えている人が少なからずいることだろう。

ホームのダイニングでいつも朝の挨拶を交わすKさん。
上は涼しげな淡色のブラウス、ボトムに黒のパンツスタイルだ。
神式のお葬式があるそうだ。
冠婚葬祭もコロナ以前にもどりつつあるのか…

令和一年5月に、このホームに入居してから、私はまだ一度も喪服を着たことがない。
それでも先に逝った年上の友人たちのことを何かにつけて思い出す。
(亡父や親せきのおじさん、おばさんのことは言うに及ばず)
生前気づかなかったこと、軽く聞き流していた言葉、…etc.
若輩者の不明ゆえに、受けとめきれなかった故人の苦悩や悲嘆
今さらながらに痛切に思い知らされては
もう遅い、としばしば慚愧の念にかられる。
死者と生者の間のタイムラグはどうしようもないものなのだろうか。

突然の若い死、昔なら大往生という百歳を越えた死、深く知り尽くしていたはずの友人の自死、…etc.
本書には様々な身近な死が語られて、死をタブー視せず「ライトにカジュアルに語る」
軽んじるわけではなく、正直に、誠実に、ニュートラルにフラットに語る。
こんなことを聞いては失礼じゃないか、残された人の気持ちを忖度するあまり、遠慮し過ぎては双方に燃焼しきれない思いを残す。

時間が経過してようやく思い至ることもある。
死者はそうして残された者の心の中で成長する。
後悔しないように、できれば生前に聞くべきは聞き、先立たれてからも近しい人に問うてみよう。
死者への尊敬と哀悼の気持ちがあれば、死の重さをことさら意識せずに、ふつうに話せるだろう。


※ 死なれちゃったあとで  前田隆弘 著  中央公論新社(’24.3)

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