私のナラティブ

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私自身の物語を紡ぐということ。
それはどういうことなのだろうか、と思う。
どんな意味を持ち、現実の世界とどのように切り結んでいるのだろうか。

廣野由美子著「シンデレラはどこへ行ったのか―少女小説と『ジェイン・エア』」を読みながら
これだけ多くの「少女小説」が、逆境にあるなしにかかわらず少女たちを励まし鼓舞する物語として彼女たちの成長を促してきたか、を考えた。
少女向けの読み物が必要とされる時代に入ったこともあるだろう。
18世紀には女性の識字率が高まり、娯楽として読書を楽しむ中産階級の女性読者が増えた。

語りものからテキストを読む時代へと移っていくなかにあって
ペロー童話集やグリム童話集の、寓意、伝承、昔話、教訓などではなく、今に生きる少女たちが切実に求めるもっとリアルな物語があるだろう。

本書に取り上げられたシャーロット・ブロンテをはじめ、アメリカに渡った「ジェイン・エア」の娘たちとして、「若草物語」のルイーザ・メイ・オルコット、「リンバロストロの乙女」のジーン・ストラットン・ポーター、「あしながおじさん」のジーン・ウェブスター
カナダで誕生した不滅の少女小説「赤毛のアン」のルーシー・モード・モンゴメリ
イギリスでの変転とその後の「ジェイン・エア」として、「木曜日の子どもたち」のルーマー・ゴッデン  
小公子や小公女、…etc.
時代とともに変奏され、創作された「物語」は、何より子どもを夢中にさせる圧倒的面白さを持っていた。
現実を忘れさせるほど…
年長者が語り聞かせる昔話とは違って、身近な処世と意志の強さを肯定的に捉え、学ばせたことだろう。
ファンタジーではなく、生きる糧、等身大の少女たちが行く道を指し示す物語だった。

多分そんな楽しさが一番の肝で、強固な意志を秘め、困難を乗り越え、ついに自己実現する少女のサクセスストーリー(成長の物語)などでくくられる単純なものではないのかもしれない。
物語が強く魅惑するもの
それは誰にも侵すことのできない、決定的な防波堤、時にはアジールを保証するもの

人は幸せになる権利を有する。
それは他者を排除することなく、ともに並び立つ平和と幸福につながる。

私たちは、その目的のためナラティブを必要とする。
ただそのナラティブは自分が創造するしかないものなのだ。


※ シンデレラはどこへ行ったのか ―少女小説と『ジェイン・エア』
                 廣野弓子 著  岩波新書(’23.9)

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