自衛隊もまた靖国というナラティブを必要とするのか             世界8月号より

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私にもナラティブが必要だ。
術後の不調等々、困難を乗り越えるために「ナラティブ」というメソッドが有効に思われていた時
「世界8月号」の記事に、タイトルの書評が目に留まった。
「ナラティブ」を自衛隊と靖国神社の関係を表すキーワードに使っている。

主に精神医療面で使われる場合に着目していたのだが、歴史学の上でも「ナラティブ」が問題視されていた。
歴史が解釈される時、歴史叙述はナラティブ(物語)の形をとり、現体制を擁護する権力作用を持つ、ということが歴史学の専門家から指摘されている。

歴史修正主義やナショナリズムの形成に、ナラティブが神話として作用しないか。

田中角栄は戦争体験者がいなくなった時を危ぶんでいたという。
しばしば過激な言動で国民の不信感を煽り、不安感を募らせた、安倍晋三、石原慎太郎、麻生太郎らには戦争体験がない、と本レビューは言及する。
今や十分な歴史認識と判断力を持つ政治家はいるのだろうか…
時に信じられないほどの無知をさらけ出す発言をして平然としている。

現在、靖国神社の宮司も元海上自衛隊海将であり、戦後生まれだという。
戦争体験者が物故し、戦争の記憶が風化してゆく中で、靖国神社の意味も薄れてゆくはずであろう。
しかし、世界的にみてナショナリズムが勢いを得ている今日、国際関係が緊張状態にあるなかで、靖国の意義を最大限生かそうという勢力があってもおかしくない。
戦死しても靖国の神として祀られるという言説により、兵士を戦地に赴かせる機能をもった顕彰施設」だった靖国神社は戦後、一宗教法人として存続している。

靖国が好戦的なナラティブを復活させることがあってはならない。
先の大戦への継続的な反省から、平和を願う神社として靖国のあり方を十分に議論したい。
戦中の亡霊が徘徊するのを許してはならない。

父方の祖母は5人の男子を生み、そのうちの4人を戦場に送った。
兵隊にするために男の子を生んだのではない、と悲憤慷慨することただならぬものがあったという。
その祖母が東京に来た折に、母は靖国へ連れて行った。
長男を戦死させているからだ。
戦争を激しく憎んでいたはずの祖母が、その戦争で死んだ息子の慰霊のために靖国に行く。
確かに息子に会いに行くような気持ちだったに違いない。
祖母の思いに矛盾はない。
靖国は息子の眠る地であり、A級戦犯が合祀されていようとも、決して戦争を正当化する神社ではない。

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