木曜の男 G.K.チェスタトン 吉田健一・訳

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「木曜の男」を読んだ。
推理小説作家として知られるG.K.チェスタトンだが、唯一の長編推理小説とされる。
チェスタトンは、評論、小説、戯曲、詩、紀行、神学論、歴史などにわたる守備範囲の広い作家であり、推理小説はその一部に過ぎない。

そもそも小説をジャンルわけすること自体、無意味に思われる作品だった。
しかし、江戸川乱歩がチェスタトンのトリック創作数をこの分野で随一とするからには、やはり推理小説というジャンルに属するのだろう。

オーソン・ウェルズが彼の大ファンだったと知れば、その映像の謎を秘めた不条理性にチェスタトンとの親和の高さがうかがわれるような気がする。
そしてさらにフランツ・カフカとはほぼ同時代人であるから、その影響関係は明らかに思われる。
無政府主義者と官憲の対立は、カオスあるいは自由と秩序の葛藤とも読めるが、資本主義対共産主義という紋切り型、皮相な意味はない。
(チェスタトンはその双方に反対していた)

政治論、ナンセンス文学、不条理劇、冒険活劇、…etc.
様々に補助線を引けそうな本作ではあるが、
ユーモアが行間に満ちた、センチメンタル嫌いのイギリス人らしい作品だという印象をもった。
無用な意味というものから解放してくれる爽快感もあるようだ。

吉田健一訳は確かに分かりにくい。
理解しようとして頭をひねるだけ無駄という気さえする。
吉田健一が難しい文章を書く人だったから。
英文で読めさえすれば、あるいは原書で読んだ方がすっきりするに違いない。
不思議の国のアリスを読むように肩の力を抜いて、登場人物といっしょになってナンセンスと冒険を楽しむのが正解かもしれない。

形而上学的なうんちくや人生訓とともに推理小説を楽しみたいなら、ブラウン神父シリーズの方がまだ気楽だ。
しかし、G.K.チェスタトンの影響力を思えば、「木曜の男」を攻略しないことにはなんだか気持ち悪い。

ミステリーチャンネルで「刑事モース オックスフォード事件簿」を観ていて、モースの上司は確かサーズデー警部と言ったっけ・・・


※ 木曜の男 G.K.チェスタトン 著  吉田健一 訳
                   創元推理文庫(’60.1)





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この世には、一人のたいそう年老った暴動家かつ扇動家がいて、いかに洗練された隠れ家であろうとズカズカと乗り込み、人間はみな兄弟だという恐ろしい事実を告げてまわる。そして、この平等論者が青白い馬に乗って行くところには、どこへでも随いて行くのがブラウン神父の職業だった。 
              「ブラアウン神父の無心」より「奇妙な足音」

※ ブラウン神父の無心 G.K.チェスタトン 著  ちくま文庫(’12.12) 

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