井上清子さんのこと
朝ドラの「虎に翼」を見るたびに、井上清子(せいこ)さんのことを思い出す。
井上清子先生と言うべきかもしれない。
たった3か月の短いお付き合いだったけれど。
大学卒業にあたって、就職先を探していた私は、希望の外資系製薬会社への就職を断念し、
弁理士事務所への方向転換を考えていた。
名前から女性であることは分かっていた。
事務所は東銀座にあった。
まだ土曜日は半ドンという時代である。
扉を押して現れた所長を見て、私は絶句した。
所長は女性であるはず…
その人は断髪の背広姿だった。
???
弁理士を目指す技術系の男性が数人
タイピスト(その頃はまだ和文タイプだった)などの女性職員が数人いた。
驚きが去らぬまま、一室に招じ入れられペーパーテストを受けた。
確か英文翻訳だったと思う。
入所してみると、私のほかに新卒は3人いた。
英語の得意な人、絵が好きで、その後銀座の画廊めぐりをいっしょにした人、もう恋人もいて結婚間近に思われた人
すべて女性だった。
仕事は弁理士の見習いである。
よく弁理士会館や特許庁に出かけた。
井上先生は厳しい人で、完璧を求める人だった。
その厳しさはよく知られていたようであり、弁理士会館では
あそこで行儀見習いして結婚するといいよ
と、言われたものだ。
私はその後、自分に事務職の適性がない、と判断し
結局、外資系製薬会社の研究室に転職した。
今考えてみると、膨大な特許公報から過去の特許申請の内容を調べる作業など、今日ではAIにとってかわられるだろう。
退職をお伝えした日、和やかながらも井上先生の表情に落胆の気配が過るのを見たような気がした。
井上清子先生は女性弁理士第一号で
当時、女性だからということで相当な抵抗もあったらしい。
背広姿と断髪は、男社会で処世する方便だったのだろうか。
短い期間在籍しただけで、さっさとやめてゆく新卒者をどう思っていたのだろうか。
その後、女性弁理士を育てるのが夢だった、と聞くことがあった。
年とともに、先輩に対する非礼が思い出され、心が苛まれる。
若い時は、何と自分本位だったかと・・・
井上清子先生と言うべきかもしれない。
たった3か月の短いお付き合いだったけれど。
大学卒業にあたって、就職先を探していた私は、希望の外資系製薬会社への就職を断念し、
弁理士事務所への方向転換を考えていた。
名前から女性であることは分かっていた。
事務所は東銀座にあった。
まだ土曜日は半ドンという時代である。
扉を押して現れた所長を見て、私は絶句した。
所長は女性であるはず…
その人は断髪の背広姿だった。
???
弁理士を目指す技術系の男性が数人
タイピスト(その頃はまだ和文タイプだった)などの女性職員が数人いた。
驚きが去らぬまま、一室に招じ入れられペーパーテストを受けた。
確か英文翻訳だったと思う。
入所してみると、私のほかに新卒は3人いた。
英語の得意な人、絵が好きで、その後銀座の画廊めぐりをいっしょにした人、もう恋人もいて結婚間近に思われた人
すべて女性だった。
仕事は弁理士の見習いである。
よく弁理士会館や特許庁に出かけた。
井上先生は厳しい人で、完璧を求める人だった。
その厳しさはよく知られていたようであり、弁理士会館では
あそこで行儀見習いして結婚するといいよ
と、言われたものだ。
私はその後、自分に事務職の適性がない、と判断し
結局、外資系製薬会社の研究室に転職した。
今考えてみると、膨大な特許公報から過去の特許申請の内容を調べる作業など、今日ではAIにとってかわられるだろう。
退職をお伝えした日、和やかながらも井上先生の表情に落胆の気配が過るのを見たような気がした。
井上清子先生は女性弁理士第一号で
当時、女性だからということで相当な抵抗もあったらしい。
背広姿と断髪は、男社会で処世する方便だったのだろうか。
短い期間在籍しただけで、さっさとやめてゆく新卒者をどう思っていたのだろうか。
その後、女性弁理士を育てるのが夢だった、と聞くことがあった。
年とともに、先輩に対する非礼が思い出され、心が苛まれる。
若い時は、何と自分本位だったかと・・・
この記事へのコメント