パサージュ論を読みながら19世紀末のパリを散歩する

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本シリーズは、草稿のままに終わっており、引用の合間に著者自身の随想がちりばめられた、断想のモザイクのようなノートである。
引用は膨大で、探索していると、当時の交通などについて驚くような記述も散見され、時代相があらわになる。

パサージュの一言で、19世紀末の都市における、街路の目覚ましい発展と、それを促し、変容する意識を考察している。
今日の都市生活者には自明のように思われる都市環境が、ヒトという動物にとっていかに革命的なことであったかを、改めて考えさせる。
建造物と街路の整備、都市計画そのものが人々の夢の世界の外延であろう、という発想は刺激的だ。
私たちがすでに都市の環境を第二の自然として享受してきた証拠だろうか。
建造物と都市生活者の視線のありか、ふるまいは、田舎とは決定的に異なっているのだ。

そして、記憶と時間の概念。
記憶には個人的記憶と、集団的あるいは歴史的記憶があり
時間にも日常的些事にかかわるプルースト的時間と、長大な歴史的時間の流れがあるだろう。
双方は互いに侵食しあい、都市の記憶そして街路を形成する。
都市の遊歩者は、陶酔のなかで歴史的事象さえリアルに追想するのだという。

オーバーツーリズムが懸念され、さまざまな対策が検討されている今日
東京は特に人口密度が高く、インバウンドの驚きは、その人の多さに比して整然とした人々のふるまいと街路の美しさにあるようだ。
観光客の方が住民より多いくらいで、エトランジェの孤独も遠い昔のことになろうとしている。

せめて本書を読みながら、19世紀末のパリの空気を感じたい。
ナチスの手を逃れ、亡命途上、ピレネー山中で服毒自殺したベンヤミンの生涯を思うと、人間の未来が重なって見えてくるようだ。
残酷苛烈な歴史を遡上し、風景のなかに人間性の欠片を探す遊歩者となる。

パリは美しくあり続けられるだろうか…


※ パサージュ論Ⅲ ヴァルター・ベンヤミン著 岩波書店(’94.3)

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