佐藤愛子がレポートした大阪万博1970

老年を描く、といえば武田泰淳の「目まいのする散歩」を思い出す。
もうすっかり忘れているのは、若い時に読んだせいだろう。
吉田兼好が、若い人、病なく身強き人を「友とするに悪きもの」として挙げている。
若い人、頑健な人は、溌溂としていて、友とするにも心強いはずだ。
それが物足りない、と感じるのは、年のせいだろう。
老いを経験してはじめて、身が弱ることの苦悩を知るのだ。

母が3月に97歳を迎えた。
自分の年も忘れてしまうほどの、あっぱれな記憶喪失ぶりだ。
好きだった読書も彼女の習慣からほぼ完全に放擲された。
それでも「本が読みたい」というので、妹が佐藤愛子の「愛子戦記」を図書館から借りてきた
佐藤愛子氏は大正12年(1923)生まれ、現在百歳である。
同世代であるから共感できるところがあるはず、母も少しは読むかと考えたが、根気がないのか案の定、つん読状態のままだ。

佐藤紅緑の娘で、サトウハチローの妹という文学一家に育ったことしか知らなかった私が手に取ってページを繰る。
「愛子の小さな冒険 大阪万博1970」に、来年開かれるはずの万博への批評にもなる言葉が憤然と吐露されていて、大いに留飲を下げた。
今になってみれば、当時のキャッチコピー「人類の進歩と調和」はそらぞらしい。
科学技術の進歩は必ずしも幸福ばかりをもたらしたわけではなかった。
逆に平和を阻害する方向にばかり突き進んでゆく。
万博会場に行列をつくった人々のエネルギーを、暴走する科学技術の進歩を阻止する力にしたいと、閉会式で語り終えるつもりだった佐藤愛子の言葉は、途中でレシーバーが切られた。

1970年の万博には、学生時代の私も入場しているのだが、「月の石」を見るために行列する根性はなかった。
佐藤愛子は、当時の関係者、入場者のすべての疲労困憊した表情について繰り返し述べている。
日本は高度経済成長のさなかにあり、公害列島だった。

私はずっと後になって、大阪吹田の万博跡地を訪れた。
岡本太郎の「太陽の塔」が兵どもの夢のあとという感じで建っていた。
目的の大阪歴史博物館が妙に閑散としていたのが心に残っている。

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愛子戦記 佐藤愛子著 文芸春秋(’23.6)

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