短編の味わい 江戸川乱歩編「世界推理短編傑作集」

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ヴァン・ダイン、ドロシー・L・セイヤーズ、エラリー・クインがそれぞれ編んだ三つのアンソロジーを底本に、江戸川乱歩が再編集したという秀作ぞろいの本アンソロジーが面白くないはずがない。
ましてや推理小説、ましてや短編。

社会派の松本清張は、推理小説は筋に矛盾を生じさせてはいけないので、執筆にも取材にも時間が要る。ふつうの作家より高い原稿料をもらってよいはずだ、という趣旨の発言をしていたのを思い出す。
いずれにしても推理小説という形式がいかに小説の構造に合致しているか…
トリックの謎もついには人間存在の謎に通底しているような気さえする。

長編には長編の面白さがあるのは当然だし、だから「失われた時を求めて」や「源氏物語」その他の長編小説が書かれてきたのだが…
それでは一方、短篇の魅力とは何だろう。
俳句や短歌などの短詩型について考えてみると、その特徴に共通する点が見えてくる。
短詩型では言葉数が制約されるので、絵画でいえば余白の美、小説では行間に物言わせるテクニックが必要になる。

推理小説でかつ短編となると、トリックについて細かに説明することはあまり意味をなさない。
語られないことがらがあり、読者はその空白に無限の疑念を抱かされる。
知らされぬことを様々に想像して、恐怖のあまり戦慄する。
本アンソロジーにも「奇妙な味」に分類される短編がいくつか選ばれている。
(「二瓶のソース」「銀の仮面」「黄色いなめくじ」)
考えてみれば、言葉によって編まれたこの現世も、ぎっしりと言葉によって埋め尽くされ、説明の網の目によってからめとられているように見えながら、どこか人目につかぬところに巨大な綻びがあって、ほとんどの人はそれに気づくことなく、日常の時間の継続を故もなく信じているのではないだろうか…
実際起きている悲惨は、ごくごく一部に過ぎず、その淵源は無尽蔵なのではないか。

恐怖こそ生涯の情熱だったとは、ヒチコックの言葉だ。
恐いもの見たさ、というけれど人は情緒不安に陥れるような恐怖さえ求める。

一行に目を走らせ、もっと怖くなるのでは、と期待する。
一篇の秀作に背筋を寒くさせられながら、さらなる想定外の恐怖に現世の深淵をのぞきこもうとする。


※ 世界推理短編傑作集4  江戸川乱歩 著  創元推理文庫(’19.2)

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