老人ホームの心やさしい仲間たち

密かに心の中でムイシュキン公爵とお呼びしている入居者がいる。
朝食後、ダイニングのソファでくつろいでいるところ、お母さまのご容態をお尋ねした。
目をぱちくりさせる以外は、ほとんど表情も変えられずに
死んだの。〇月〇日に。
と、ついこの間の日付をおっしゃった。
歳が歳だけに驚くに当たらない、とわかってはいたが、やはり絶句…

・・・そうですか

二の句が継げないでいた。
人づてに親孝行な方だと聞いていたので、心痛もさぞや、と思われたのだが。
ご本人は90代という年齢から覚悟の上でいらっしゃったのだろう。

でも、部屋にいるの。
たまらなかった。
私は霊感のない人間だが、その分こういう話には弱い。
寸分の隙もなく共感できないのが辛い。

母は偉大である。
高齢の息子を、生きている限り,否、死してなお守ろうとする。
これ以上の無私の愛というものはない。
イデオロギーではなく、ただそこに在る。
(神の愛も仏の慈悲も、観念的に考えることができるだけだ)

お母さん、かわいそうだったから。

万感の思いのこもった言葉に対して、応える言葉があろうはずもない。

その夜、お隣さんが自室からダイニングに降りてきて
「ねえ、星がきれいよ」
テラスに出て、三人でしばし夜空の星に見とれた。
高台から臨む夜景と比べれば、ほんのかそけき光なのだが。
見上げれば、自分のちっぽけさに気づいて、ほっとしている私がいた。


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