医療への不満

医療に対する不満の原因は、つまるところ医師と患者のコミュニケーション不足によるものだ。
医療というと、技術面ばかりに目が向きがちだけれど、ともすれば患者が人間であることを忘れているのではないか、という局面に遭遇すると、何と言ってもそこには人間対人間の葛藤を克服するという大問題が控えている。
常にその葛藤の重圧にさらされ、かつその解決を求められる医師は、だからこそ社会的地位が高く、尊敬されもする。
医学部入学試験の難易度の高さで評価されているわけではないのだ。

内科病棟で同室になったAさん。明日リハビリ病棟に移って欲しい、と突然言われショックを隠せない。
せっかくお友達ができたのに…と。
病院というところはメンタルまで考えてくれないんですね、と憤懣やるかたない。
これは大した問題ではないからまだしも、こういう細部の出来事から、患者軽視の姿勢がうかがわれるのだ。

手術後1000日に及ぶ不調に悩んだ私は、さすがにこれは人道問題だということに気づいた。
執刀医とは、ただただ良好な関係を保ちたい、と願うあまり、低姿勢でのぞむ。
初対面の相手は、凶器にもなりかねないメスをもって、無防備な肉体をきりきざむ。
というと、まるでホラーだが、現実はまさにその通りなのだ。
もしそこに信頼関係が成り立たなければ、到底許される行為ではないのだ。

人命を救う。苦痛を少しでも和らげる。家族があり社会的責任をこれからも果たさなければならない存在にそのチャンスを与える。…etc.
医療は言うまでもなく尊い行為である。
社会的コンセンサスは決して疎かにされることがあってはならない。

レントゲン写真を見て、呆然とした執刀医も、次の診察では、最初から(関節が)壊れていたんだよ、とにべもない。
今度は患者の方が呆然とする。
説明責任を果たすべく努め、再手術を余儀なくされた結果に、絞り出すように謝罪の言葉を述べた医師が、守りの姿勢に転じた。
何と過酷な手術だったのだろうか…
医師、患者双方にとって。
終わったことにあれこれ不満をもらすのは、これはもう愚痴に過ぎない。
最終的に手術をすることを承諾したのは患者だということになっている。
手術前には各種書類にサインしたではないか。
その内容をよく確認する暇すら与えられないままに。

説明責任がきちんと果たされていなかった。
というのが、ボタンの掛け違いのはじまりだけれど、
あとになって愚痴を言う自分が許せなかった。

医師の働き方改革も、医療制度、医療基本法、…難しい問題がたくさんひかえている。
何よりも、最も人間を大切にしなくてはならない現場で、おためごかしやたてまえだけが空疎に流通し、人間不在が放置されているのだ。

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