意見が嫌われる時代の言論 「世界1月号」より
ミステリーを読むことは、私にとってひとつの現実逃避の手段であることは否めない。
けれど、それが全く無意味な営為に終わらないのが読書の妙味である。
(これは決して強がりではない)
岩波の月刊誌「世界」の装丁その他がリニューアルして、ちょっぴりおしゃれになった。
といっても中身が変わるわけではない。
雑誌「世界」の方は、同じ読書でも強い覚醒作用があるのだ。
まどろんでいた読者も、はっとして襟を正す。
社会や政治との没交渉を決め込んでいた身にも、若い書き手の清新な発想や新たな取り組みが提案されると、まだ希望がある、と思わせる。
1月号には引き続き大江健三郎による過去の寄稿が掲載されていて、滞米の折、送られてくる「世界」によって、日本人としていかに勇気づけられたか、が熱く述べられている。
また、テーマと姿勢の首尾一貫性が、高校生の頃から読み始めた作家の心に深く印象付けられていことがわかる。
ノーベル賞作家をかくも感動させた「世界」の存在は、メディアをはじめ知の劣化が言われる(誰の目にも明らかだろう)今日の言論の状況で、ある種の防波堤になっていると思いたい。
1月号では「意見が嫌われる時代の言論」(大沢聡)の寄稿が出色だ。
年々世間とのずれが大きくなっていく。
そのうち諦めて、過去を振り返りながらノスタルジーに浸るばかりの自分をすっかり許してしまっている。
LINEで句点「。」がつくのが嫌われる、という。怒っているのではないか、と不安になる受信者がいるらしい。
敬語を使うか、タメ口でいくか
内容が杓子定規でつまらないから、絵文字をあちこちに張り付けてしまう。
(これを、おじさん構文と言うらしい)
最低限、嘘さえ書かなければよい、と思う。
フェイクニュースやデマが易々と流通する時代に、メディア・リテラシーが厳しく問われるのは言うまでもない。
ネット上に浮上する情報は、自ら選んだものである前にアルゴリズムによって選ばされてしまう情報がほとんどだ。
生身の人間が発する言葉こそ、豊かな情報を含んでいるはずだ。
若い人は、結論を急ぎ、長文を嫌う。
2倍速、3倍速で観てかつ読む。
行間を読む、なんてすでに死語なのだろうか。
世界1月号では、長編作家として桐野夏生が危機感を表明している。
"切り取り"の増加とコピペ言論の横行
文脈をはなれた、部分の切り取りは、誤解を招くどころか、反対の意味に用いられ兼ねない。
今こそ「精読・遅読」が求められるのだ。
この記事へのコメント
今や報道は無法国の代弁者となり、日本の国益は悪に印象操作し妨害、反日帰化の多い野党や中韓の悪事は報じない自由で日本人の知る権利を阻む異常な状態です。
世論誘導が生んだ民主党政権、中韓を利す為の超円高誘導で日本企業や経済は衰退する中、技術を韓国に渡さぬJAXAを恫喝し予算削減、3万もの機密漏洩など数知れぬ韓国への利益誘導の為に働きました。
メディアに踊らされあの反日政権を生み、当時の売国法や“身を切る改革”に未だ後遺症を残している事、今も隣国上げや文化破壊等、
日本弱体と利益誘導に励む勢力に二度と国を売らぬ様、各党の方向性を見極め、改憲始め国の成長と強化が重要で、しかし必要なのは、
日本人として誇りを取り戻し、世界一長く続く自国を守る意識だと多くの方に伝わる事を願います。
それは若い人に限った話ではありませんしブーメランになってるだけです。
貴方のような昔の人はすぐ若者批判否定に走りますが、殆どの若者はマトモな人間という現実を無視しています。私からすればすぐ若者が駄目だと逃げるのは同レベルにしか見えませんよ。
そしてそういった古い世代が作った日本はこんな駄目な国になったわけです。
つまり古い世代も実際は駄目人間ということ。いくら否定しようがそれが現実なのですよ。現実は覆すことはできません。
そしてそもそも貴方は知らないのかもしれませんが日本国民は昭和からずっとマスゴミに洗脳されていたわけです。今急に嘘情報に踊らされるようになったという事実はありません。
最近はジャニーズやダイハツといった大企業が昔から不正行為をしていたというニュースも多い。昔から日本はマトモじゃないと世間知らずな昭和世代が気づいてなかっただけなのですよ。