歴史ミステリーを読む 「時の娘」

ハヤカワ文庫、表紙絵の人物はリチャード三世。
ロンドンの国立肖像画美術館に所蔵されている一枚である。
一見して、一筋縄ではいかない、気難しい人物を思い浮かべてしまう。
敬して遠ざけてしまいがちな、ちょっと煙たい存在だ。
本書を読み進めるうちに、この肖像画の印象が微妙に変化してゆく。
リチャード三世と言えば、権力を奪取するために、いたいけな甥2人をロンドン塔に幽閉のあげく、殺害したとして、その「極悪非道」ぶりを断罪された王様だ。
ウィリアム・シェイクスピアは、その非道と強烈な個性を戯曲に書いた。
ハムレットに次ぐ人気で、華麗な台詞劇の精華は読者を惹き付けてはなさない。
しかし、リチャード三世が発する言葉は、最初から決して、もってまわった狡さや腹黒さとは無縁なのだ。
俺にはお追従が言えぬ、造り顔が出来ぬ、人前で微笑を浮かべ、愛想よくもてなし、相手に罠をかけるなどという真似は出来ないのだ。
・・・・・
だから、胸に一物あるように睨まれる。一人の凡人が世の片隅で、ひとに迷惑かけずに生きてゆこうというのに、それも許されぬというのか?(福田恆存訳)
シェイクスピアが史劇「リチャード三世」を書いた時は、リチャ-ドの死後10年も経っていない。
極悪非道な暴君のイメージは政敵によってつくられたものであったにしろ、その風評は未だ生々しかっただろう。
シェイクスピアのリチャード三世像は、トマス・モアの著述の影響が強いと言われるが、機知に富み皮肉にあふれた台詞から、王座を狙う者の残忍さより先に、闊達で奔放な精神性すら感じさせる。
比較するに表紙の肖像画は内省的で神経質な人物像を彷彿させる。
さて歴史ミステリー「時の娘」であるが、広く流布してきたリチャード三世像が、ベッド・ディテクティブとその助力者によって、見事に覆される。
しかしその歴史の逆転が、自らの手柄に帰すものではなく、すでに先行する研究があったということが判明する。
本書の面白さは、歴史的事柄を学者の視点ではなく、伝聞証拠を避け、物証を重視し、利を得る人間が誰であるかを推理する刑事の目をもって明らかにするところにある。
歴史記述は、記述者によって多少ともバイアスがかかることは否めない。
歴史的事実とされる事柄でも、批判精神を全開にしつつ、伝聞や風評を疑え、ということだ。
本書は歴史ミステリの嚆矢とされ、ミステリ・ファン必読の書とされるが、英国史に疎い私には、少々読みづらいところがあった。
登場人物の政治的立場を、系図から直ちに読み解くのは難しい。
※ 時の娘 ジョセフィン・ティ 著 ハヤカワ・ミステリ文庫(’77.6)

リチャード三世 シェイクスピア 福田恒存 訳 新潮文庫(’74.1)
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