医療におけるコミュニケーションの成否は患者のその後の人生を決定する

○○さん、退院したらだれか面倒見てくれる人ありますか?

これが入院した私にPTが発した第一声だった。
えっ、と驚かなくてはいけないはずなのに、良くなることばかり考えていた私はさらりと聞き流していたのだ。
術後、不自由になる患者を想定しているとは!

他院のPTも

疑問を感じちゃうんですよ。
すたすた歩いて入院した人が杖を突いて帰ってゆく。
杖歩行していた人は車椅子に乗って退院する。
私たちのしていることって何なのだろう…

と。

運動器の障害で手術入院した患者が、必ずしも良くなって帰るわけではない。
そのことがPTの仕事のモチベーションを低下させているかもしれない。

術後、筋力さえつけば、運動能力も回復するだろう、と希望をもって励んだ臨んだ励んだリハビリだったが
手術の内容によっては、のびしろがほとんどない。

それにしても術前にもっと医師と話し合っておくべきだった。
治癒を目指して治療をするのは69歳まで(養老孟子)、とか。
某病院は若い人から治療すると、明言する。
先の長い若者と、老い先短い高齢者を、言葉は悪いが選別する。

母が、95才で大腿骨骨折の手術を受けた時、ソーシャルワーカーはじめ医療従事者の対応にそれを感じた。
医師と患者の間には大きな温度差がある。
患者はもっとよくなりたいのに、医師には、このへんで、という妥協と患者の残された人生への軽視があるのではないか。

母は、術後、短い距離なら歩行器を使って歩き、医師を驚かせた。
別に熱心にリハビリに励んだわけでもない。
手術したことさえ忘れているほどだ。
(これは認知症状ではあるが)

医療分野で分業化が進む今こそ、コミュニケーション能力が問われるだろう。


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アビランド家の秘蔵コレクションより ’14.5

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