聖夜は百年の時を遡る、贅沢な読書をしよう

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完全な孤独と静寂が長時間確保されるという奇跡が訪れたなら、そのチャンスを逃してはならない。
(人生は短いのだから)
長い間、敬して遠ざけていた本を手に取ろう。

ページをめくれば既視感にとらわれる。
まるでプティット・マドレーヌを浸した紅茶から立ち上る香りが、膨大な記憶をよみがえらせるように…

「失われた時を求めて」をようやく5巻まで読んだのはいいが、休眠状態に入ってしまった。
残りの2巻は積読されている。
(この稿は未読のまま書いていることになる)

前頁で、篠田一士が10年かけて本書を読んだ経緯について触れた。
「完訳の日本語訳がなかった頃、出だしの部分は、昭和初年の古い邦訳、真中は英訳、終りの部分はフランス語と」「三色旗さながらに」
古本を探しての「難行」だったという。
今の私たちはその点で恵まれている。
脚注の豊富な岩波文庫版でも手軽に読めるからだ。

フランスの階級制は有名だ。
一説に、今日でも、特権的な200家族以外は出世できないという。
私たちの中に今も残る、根強い遺制的「偏見」が一体どこにルーツを持つのか。
歴史の探索は、私たちの心を探る旅でもある。
「失われた時…」には上流階級の社交の有様と、それにまつわる階級意識が生々しく描かれている。
新たな有産階級となったブルジョワに対して、なお貴族の放つオーラは絶大であった。
主人公のゲルマント公爵夫人へのやむにやまれぬ憧れ。
それは内面化された階級意識である。

小説は一気に百年の時を遡らせ、人の心の深奥までのぞき込ませる。


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最近、映画化されたこともある「無垢の時代」を読んだ。
こちらは19世紀末、オールドニューヨークの上流社会を描き、その生態と心理、社交上の美意識などの綿密な描写が高く評価されている。
作者のイーディス・ウォートンは本書によって女性初のピューリッツァー賞を受賞している。

ヨーロッパの倫理観からすると、この時代のニューヨークの道徳律ははるかに厳しい。
パリから輸入されたニューモードを早速取り入れるのは「野暮」(或いは軽薄)で、1年寝かせてから身に着けるのが「粋」(或いはおしゃれ)とされた。

同作者による「ローマ熱」を読みたくてアンソロジーから探した。
あっと驚く結末は、ミステリさながらである。
アガサ・クリスティ生誕にさかのぼること28年。
探偵小説の分野でも意外なほど多くの女流作家があらわれるのもこの時代ではないか。
庶民の女性にも余裕ができ、読者層の増加が次々に作品を求める結果になった。
自由に選択できる今日とは異なり、本は現実逃避の手段として、手軽で最適な唯一のメディアだったのだろう。


※ 無垢の時代  イ-ディス・ウォートン 作  岩波文庫(’23.6)


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