言葉の重み

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たまたまN市に長い間住んでいたせいで、茨木のり子の詩とも縁ができたのだった。
書物との出会いも、人のそれと同じで、摩訶不思議な偶然と縁に左右される。

と、考えるとこわくもなる。
一生の間に読める本となれば限られてくるからだ。

友人から無印の本をもらった。
写真と数篇の詩とエッセイで構成された150ページ余の文庫本だ。
有名な編集者が
「好きな本は?」
と聞かれて、確か、文字の少ない本と答えていたのを思い出した。

詩集や歌集、句集のたぐいは、印刷された文字のあまりの少なさに、購入することを躊躇うことがある。
よほど好きな作品でない限りは。
もちろん、文芸作品はその量によって、コトバの単価が決まるものではない。
テキストはコトバの森であり、その薄暗い木下闇に分け入る喜びは、まるでヒトの始原へと遡行するようなわくわく感に満ちている。

昔は、三段組どころか四段組みの世界文学全集があったような気がする。
1ページにぎっしり文字が詰まっていて、お得感がある。
(目が良かったのだなあ)
量に圧倒され、物語世界に参入する期待感はいやがうえにも高まった。
当時はまだ精読する楽しさを知らなかったから、ただひたすら筋を追い、斜め読み、飛ばし読みの名人だった。

友人から手渡された無印の本には、「天声人語」の切り抜きが添えられていた。
ショーペンハウエルの言葉が引かれている。
「書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである」

母がまだまだ読書家だった頃
「ああ、こんな本読んでいていいのかしら」
と、安易な読書を自ら戒めるふうだった。
祖母に至っては、10冊くらい本を積み上げ、読み終わればまた最初の本にもどったそうだ。
内容を忘れてしまうので、新たに本を必要としない。繰り返し読むのだ。
妹は、推理小説は一気読みするようにしているという。
翌日になれば、筋や登場人物を忘れてしまうから、と。

本はそこにあるのに時間は待ってくれないのだ。


※ MUJIBOOKS 人と物5 茨木のり子 良品計画(’17.12)

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