事件屋稼業

71jKM2BjoWL._SY466_.jpg



ここに出来した場面は、どこに伏線が張られていたのだろう。
穴だらけのトリックがある一方、精緻に構成されたミステリーも「論理と演繹」を求めるジャンルの本質からして当然あり得る。

謎解きにモラリズムを持ち込んだハードボイルドに、神経質でマニアックな解釈はほとんど無用に思われることがある。
特にプロットよりシーンが重視されるチャンドラーに精密さだけを求める読者は少ないだろう。
ミステリーの形式がかくも魅力的なのは、何故、どうして、…動機や事件の進展に人生そのものがふと垣間見えるような気がするからだろうか。

「文学」を楽しんでいることを自覚しながら、何度かページを遡る。
(年のせいかしら…)
そして、そのうち面倒になってくる。
筋を追うのをいっとき諦めて、今まさに目の当たりにするような登場人物のパフォーマンスやしぐさに息をのむ。
チャンドラーの歯切れのよい文体が一朝一夕に完成したものではないことは明らかだ。
映像には特にチャンドラーの描写に近いものがある。
私はロベール・ブレッソンの「スリ」などを思い浮かべるのだが。
(熟練したバリスタやバーテンダーの鮮やかな手際のようなものだ)

本書は短篇集だが、フィリップ・マーロウの一人称語りが2篇に三人称描写が2篇。
最後に「あまりにも評価のたかいハードボイルド宣言」『簡単な殺人法』が付されている。
ミステリに真実性を与え、独創性、視野の広さと才能において、批評家に認められた唯一の推理小説の作家としてダシール・ハメットが挙げられ、ヘミングウェイとの影響関係が指摘されているのも今更ではあるが
その黄金期から、50年を超える長きにわたって読み継がれる探偵小説に深い敬意を表したい。

読了後しばらくはフィリップ・マーロウが読者に憑依するのは避けられない。
こんなに気の利いた台詞はとっさに出るものではないが。
マーロウの生き方に共感する時、不正義や不条理にも、敢然と立ち向かえるような気がして、プチ・マーロウぐらいにはなれるかしら、という錯覚すら生じる。

チャンドラーは、楽しみを求めての読書はすべて「逃避」であると明言し、肯定的にとらえている。
探偵小説を含む読書は、生活技術のひとつだ、と。

秋の夜長のささやかな慰めである。


※ チャンドラー短編全集 2 事件屋稼業  R・チャンドラー 著  
                     創元推理文庫(’65.6)

この記事へのコメント