詩のことば 「倚りかからず」

61IFZkJFsRL._SY466_.jpg



前に当ブログでとりあげた「清冽 詩人茨木のり子の肖像」には、茨木と交友のあった詩人、影響を受けた詩人の作品が多数引用されている。

初めて知る詩人もあった。
格別詩のコトバに敏感な詩人はすぐにわかる。
一方、茨木のり子の紡ぐ詩は、日常から生まれたコトバによって編まれ、異化作用の鮮烈さによって特筆されるような詩ではない。
ただ凡庸に思われるコトバに、日常の淵を教えられる類の詩ではないか。
無意識に操るコトバこそ、振り返ってふと凝視すれば、その深さと広がりに気づかされ圧倒される。

「清冽」には、韓国で最も人気のある詩人として尹 東柱(ユンドンジュ)の詩がとりあげられている。
尹 東柱は、朝鮮の独立運動に関与したとして捕らえられ、27歳の時に獄中死した。
この詩もあるいは収監中に書かれたものかもしれない。
「人」の一字がこれほど根源的な悲痛を内包するとは。
無垢なるものの発したコトバに衝撃を受け、しばらく絶句させられる。

以下に前半部を引用してみる。

あかい額に冷たい月光がにじみ
弟の顔は悲しい絵だ。

歩みをとめて
そっと小さな手を握り
「大きくなったらなんになる」
「人になるの」
弟の哀しい、まことに哀しい答えだ。


詩のコトバに多言を弄する必要はないだろう。
乏しい語彙のなかから選ばれた「人」は
聞き手の側に痛烈なアッパーをかませる。
ざわついた心を鎮静化させ、コトバの始原へと誘う作用は強烈だ。
幼い子のコトバの世界は、分節化とは逆の多重な豊かさに満ちている。

天声人語で取り上げられたばかりではないとされたが、詩集としては異例の発行部数を記録した茨木のり子の「倚りかからず」。
遅ればせながら手に取った。
茨木は直滑降の詩人だと思う。
表題作の「倚りかからず」は茨木の「雨にも負けず」だ。
宣言する詩だ。
忖度したり躊躇せずに「王様は裸だ」だと言う。


※ 倚りかからず  茨木のり子 著  筑摩書房(’07.4)

この記事へのコメント