お分かりにならない人は、本当に分からないのか?

緩やかな進行なので、日々接している家族には分からない。
認知症のことである。
決して覚えることのないのは、自分の現在の歳だ。
「私、今いくつ?」
もう答えるのも面倒になっている。
テーブルの端に「96才!」と記したメモを貼り付けてあるのだが。

「え~、96才!?」
毎度最大級の驚きぶりだ。

そうかと言えば、子供の頃のこと、昔のことは、昨日あったことのように鮮明に覚えている。
「T先生にスキーをはかせるのでたいへん!」
女高師を出たばかりの新米先生が東京から赴任してきた時のことだ。
女学生だった母はT先生のスキー係に任命されたらしい。
「ちょっと、先生、しっかりしてよ」
といっても東京育ちの新人教師は、スキーをしたことがないから、一挙手一投足めんどうを見なくてはならない。
ようやく立ち上がったかと思うと、尻もちをついちゃって!
穴を埋めなくちゃならない私はスキーができないし…
そんな過去のぼやきが昨日のことのように口をついて出る。

小さい先生で、顔は不細工で…
頭はとても良かったらしいの。
東京では美人でないと学校でも採ってくれないらしくて…
本当に口さがない女学生である。
ふんふんと聞いている私も思わず苦笑してしまう。

遠い日の思い出は懐かしく、切ない。
過ぎ去った年月だけ重みを加えているのか。
T先生はとうに鬼籍に入っていることだろうが、生意気な女学生の印象は一体どんなものだったのだろう…?
雀百まで踊りを忘れず
人の気性は哀しいことだが(と、私は思う)生涯変わらないものだ。
母のわがままと意地っ張り、意外なほどの人見知りは、死ぬまで直らないことだろう。

母は次第に子供に還ってゆく。

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