二夫にまみえず 「儒教とは何か」

「私はもう結婚できないのです」
韓国より留学していた女性が、離婚していることを打ち明けた上で、そう語った。
30年以上前の話だ。
その頃は、まだまだ儒教的道徳律の縛りがきつかったのだろうか。
彼女がその軛をことさら深く内面化していたのか、儒教文化を説明しようとして少し大げさに言ったのか、よく分からない。
その後韓流ドラマ全盛の時代を迎えて、韓国で日本の歌をうたうことが禁止されていた時代があったなどと、若者には容易に信じられないかもしれない。
小学生の頃、遠足の列車内で、アリランを合唱していたら韓国の人に話しかけられたことがあった。
先日は関東大震災時に起きた韓国人の虐殺事件について放映された。
韓国と日本の間には複雑な愛憎からむ感情がわだかまっている。
儒教文化は私たちの風土と心にも意外なほど深く染みついているようだ。
本書によってまず通常執り行われる葬祭儀礼が、実は仏式ではなく儒教の礼法に則って行われていることを知り、今更ながら驚いた。
死の恐怖から解放されることを願うところに宗教の源泉がある述べる著者は、儒教は強く死と結びついた宗教だという。
前述の女性は李さんという名門の生まれだが、東北アジアの儒教文化圏では「同姓不婚」という原則があるそうだ。
優性保護の観点から言えば合理性があるようだ。
そして先祖の供養を重視するのも儒教の特徴だ。
仏教においては、死ねば遺体はモノに過ぎないし、日本のように死して神になるという考え方には強烈な違和感を抱いている。
靖国神社への忌避感情はA級戦犯が合祀されているからという理由以上に、人が神になるという思想に全く同調できないからだろう。
血縁を大事にするのは「宗族」を一義とする中国も同じだが、祖先を敬う感情は儒教においてより強く、その伝統を日本も継いでいるのではないか。
アニミスティックな精神性もより儒教への近親性があるように感じられる。
著者はプラグマティックな資本主義が行き詰まりをみせている時代だからこそ、儒教が注目されている、と述べる。
秩序を重んじる儒教は、個人が抑圧されがちで、封建的という印象がぬぐえないことも確かだ。
野放図な自由と個人主義の先には孤独があるばかりだ。
今日閉ざされた核家族のなかで起きる事件がこのことを証明しているように思う。
個人のオリジナリティよりも、共助、協助に伴うストイックな精神こそ、もっと重視されるべきだろうではないだろうか。
李さんからは、あの後間もなく一通のハガキが届いた。
「結婚しました」の文字にほっとさせられたのを思い出す。
※ 儒教とは何か 加地伸行 著 中公新書(’9.10)
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