旅と読書 「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」
南方熊楠の、世間的常識を逸したエピソードの数々は、逆にこの知の巨人の真相を見えなくしているのではないだろうか。
人間の到達し得る「知の極北」とは。
伝記を読んだのも、その境界の一端なりとも伺えれば、と思ったからだ。
ちょうど今、NHKの朝ドラでは、植物学の大家、牧野富太郎の物語が放映中だ。
この二人の生物学の泰斗は、無位無官の独学者として共通の情熱の持ち主だった。
学問の本質は独学だとも言われる。
アカデミーにその道を阻まれながら、市井の学者として、好奇心の赴くまま、自由闊達にその境地を広げてゆく。
まさに自由こそ、知への導き手なのだ。
今でいうオタクである。
もう10年以上前になるが、熊野古道は大門坂の入り口で、南方熊楠が長逗留していたという旅館の主人に会ったことがある。
熊楠の宿である大坂屋は、那智山一ノ鳥居のすぐ傍にある。
この鳥居をくぐると、そこはもう熊野那智大権現の神域であった。(本書より)
本書にも記された大坂屋がその宿と思しい。
大門坂は、鬱蒼とした老杉が両側に連なる、苔むした石段の坂道だった。
その暗がりの手前は明るい光の降り注ぐ、のどかな田舎道だった。
(そこでバスを降りたのは私たちだけだった)
植え込みの陰からごそごそと現れたのがその主人で、今は廃業しているという宿の庭に案内されたことを、昨日のことのように思い出した。
南方熊楠はそこでたくさんの論文を書いたという。
語学の達人(一説に17か国語を操ったという)であり、超人的な記憶力の持ち主。
卑近なことまで克明に日記に記す習性があったようだ。
記録魔、粘菌の収集など執拗なコレクター。
また民俗学もその研究対象だった。
神社合祀令に反対して、熊野の森を守ろうとしたのは、有名な話である。
柳田國男との確執では、不明なこともあるが、柳田をして
「こんな人は再び日本には生まれてこないだろう。…」
と言わしめ、その粘菌研究は「世界一」と讃えられている。
まず国外で認められ、日本では生涯市井の学者としてしか遇されなかった熊楠にとって最高の栄誉だったかもしれない。
後に昭和天皇に御進講した田辺湾上の神島で撮った黒紋付に袴姿の写真が柳田宛に送られている。
柳田はそのしおらしさに思わず落涙したという。
石づくりの小さな太鼓橋のむこうは、苔むした石だたみの道がえんえんと那智山に這い登っている。ここから那智大権現まで十二丁。熊楠はこの、大門坂の古道がすきであった。(本書より)
ずっと旅館の主人の話を伺うこともできたのに
私たちも熊野の神に魅せられていたのだろう。
後ろ髪惹かれるようにして、しっとりと露に濡れた苔の道を、滑らぬよう心しながら歩き始めた、あの日のことがよみがえる。
※ 縛られた巨人 南方熊楠の生涯 神坂次郎 著 新潮文庫(平成3.12)
この記事へのコメント
ご無沙汰しております。いろいろと大変なことがあったのですね。ご自愛ください。
以前、沖縄に行った際、南方熊楠についてブログで書いたことを思い出しました。こちらです。→
https://hananon0701.blog.jp/entry/201304/article_3.html
拙ブログ「小径を行く」はウェブリブログが撤退したため、こちらに移しました。→
https://hananon0701.blog.jp/
ところが、作業ミスで大半の写真が消えてしまいました。文章だけ残ったのが幸いです。
「小径を行く」開設以来、コンテンツの充実ぶりに目を見張るような思いがしています。
空は、うかつにもあまり楽しくない私事まで、ブログにアップして恥ずかしい限りです。
術後2年半近くが過ぎ、未だに苦戦を強いられていますが、これからもささやかながら発信を続けていきたいと思います。
宜しくお願いします。
風を待ちながら・・・
https://freeport.seesaa.net/