医師と患者は対等である 岸見一郎 著
股関節の手術後、リハビリに苦戦するうちに、何と2年2か月の年月が瞬くうちに過ぎ去りました。
無気力を脱し、宿命を生きる覚悟(大げさかな?)と諦めの境地を行ったり来たり…
医療制度、医療システムの問題点について考えざるを得ない日々でした。
術後のリハビリが思うような結果を生まず、落ち込みそうになる度に、お世話になった医師の評価が揺れ動きました。
患者も医師も、看護師、看護助手から検査技師、PT、OT、事務方、栄養課、掃除担当の部署まで、それぞれがきちんとその責務を果たしているにもかかわらず、うまくいかないのは何故でしょう
それはもうシステムの問題です。
厚労省が進めた、急性期の病院と慢性期或いは回復期の病院の役割分担。
その弊害をまともに受けるのが、私のように、主治医が頭を抱え込むような難手術の場合だと考えています。
令和2年の暮れ近く、主治医の紹介状を手に、多摩地区の中核、地域の他の病院では不可能な高度医療を行う、都立の大病院を訪れました。
ベッド総数1900、入院していた病棟の3階には15の手術室が並んでいました。
屋上にはヘリポートを有し、時には小笠原から救急患者をドクターヘリで搬送することもあるそうです。
大病院の弊害と、臓器別専門化が進んだ今日の医療の短所があらわになった医療機関であることを、今になって冷静に判断できるようになりました。
条件にあった病院としてここを選んだはずなのに…
医は仁術なり
30年以上の長きにわたり診てくださった先生の座右の銘だった言葉です。
若いころは、きれいごと、あるいは古すぎると思っていましたが
(昔の私は医師にあえて人格者であることを求めず、技術さえ優れていればおのずから良い結果が出る、と考えていたようです)
まさに医の核心は「仁」であること今更のように痛感しています。
それさえ肝に銘じていれば、医師も現場で迷うことは少ないのではないでしょうか。
岸見一郎著「医師と患者は対等である」を読みました。
想像と異なり、医師向けに書かれた本で、患者とのコミュニケーションの要諦が述べられています。
分業体制が進む今日、連携プレーが的確に行われるために、ますますコミュニケーション能力が問われます。
本書に引用されたアドラーの次の言葉が、医療の現場で必要とされる心構え、その本質をついています。
人間の不安は個人を共同体に結びつける連帯によってのみ取り除かれうる (性格の心理学)
患者は、「伴走」してくれる医師を求めているのです。
表題の「対等」の意味はそれです。
※ 医師と患者は対等である 岸見一郎 著 日経BP(’23.5)
この記事へのコメント
約8か月も更新がなかったので 股関節手術の回復が順調でないのではと心配していました。 色々と大変なようですが ご自愛ください。
長らくご無沙汰していましたのに、忘れずにいてくださったのですね。
手術については、追々書いていきたいと思います。