絵画で読む『失われた時を求めて』

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世界一長いといわれる小説を読む気になったのは、リハビリのため転院した病院でのことだ。
3か月の入院生活を「失われた時を求めて」を読んで過ごそうと考えたのだ。
新潮社版の井上究一郎訳である。

一部新訳の岩波文庫版と読み比べてみて、この長大な小説を文庫本で読むのはなにか味気ない気がした。
それもプルーストの息の長い文章に、小さなページは似合わない。
それで積んどくしたままになっていた、井上究一郎訳の、7分冊にわたる新潮社版を家から1冊ずつ持ってきてもらって読むことにしたのだった。

と言っても入院中に5冊まで読み、あとの2冊は未読のままなので、えらいことは言えない。
そこで中断していた読書を再開する前に、復習を兼ねて、軽くウォーミングアップしようと考え、岩波文庫版で新訳を出した吉川一義の「絵画で読む『失われた時を求めて』」を手に取った。
岩波文庫版は註が多く、19世紀末から20世紀初頭のパリ社交界の雰囲気を、時空を隔てた読者に伝えるべく、きめ細かな配慮があった。
本書はプルーストが参照したと思われる図版を多用し、ぼんやりしたイメージに明確な輪郭を与えてくれた。

社交界の寵児スワンのディレッタンティズムを知るために―それはまず絵画への言及なのだが―本文の記述よりプルーストが参照した絵画を探し当て、解説を付している。

ディレッタントの恋は、対象のなかに、画布に描かれた女との相似を認めることによって無関心から愛着へと急転回する。
芸術作品の参照という迂回路を経て、現実のなかにその精髄を認めるのだ。
芸術作品がまとうオーラはやがて実在の女のなかに発見されるだろう。

スワンのモデルとなった社交人士が、「パリジャンとしての才気」「終生変わらぬ確かなえり抜きの交友関係」芸術や文学の世界における「洗練された明敏な趣味」音楽や絵画のヴェルニサージュ(展覧会の一般公開に先立つ特別招待)での注目度を称えられながら、自身は「なにひとつ「生み出す」ことはなかった」
スワンという趣味人を死後も生き永らえさせたのはプルーストの筆ゆえであった。

芸術作品によって現実世界も変質する。
確かに自然は芸術を模倣する(オスカー・ワイルド)のだ。
その間の事情を語ることはプルーストの主眼のひとつだったと思う。



※ 絵画で読む『失われた時を求めて』 吉川一義 著  中公新書(’22.9)

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