読書会という幸福

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読書会の記録であり、誘いであり、ブックガイド、読書会を成功させるヒント集である。
著者の文章は平易でとても読みやすい。
というのも著者が翻訳家であるからだ。
実際、著者が参加する読書会は、翻訳家が多く、翻訳によって原文の味わいがいかに違ってくるかよくわかる。
課題図書のほとんどが、いわゆる世界名作全集に入っているような古典が多いのでなおさらだ。

本書を読んで、中高生の時代に三段組の全集で、分からないなりに斜め読みして何とか読破した人も、ああそういう小説だったのか、と今さらながらに納得して、再読への熱意を駆り立てられるかもしれない。
かつて小説が最大の娯楽だった時代があったのだ。

読書会そのものがテーマになっている図書を昨今しばしば見受ける。
それも本離れを憂うる出版社の読書への誘いだと思われる。

一般に読書というと、「孤独」で「受け身」のものとばかりネガティブに捉える人さえいる。
それは読書の喜びを知らず、批判的に読むことがいかに知的エネルギーを使い、「社会的」な営為につながってゆくかをよく理解しない人だろう。

読書会はまさに孤独な行為を、「社会的」に開放する手段である。
一人より二人、二人よりさらに多くの読書家を募ることによって、多数の参加者の意見や感想が、思いがけない視点を発見させ、感受性に厚みを加えるだろう。
書かれたテキストを自分の財産にするのは読者である。
その広大な地平を考えると目がくらむような気さえする。

スクロールして読む速度は、ページをめくって読む速度より遅い、と言われる。
テキストに参入するためには、電子より紙の図書を利用する方が有利だと思う。
まず皆が同じ本を携えて集い、その本を仲立ちとして、登場人物や言い回しなどについて意見を交わす。
その親密な空間は読書会ならではものだろう。

N市では、助川幸逸郎先生の講義で、「21世紀の生き方を源氏物語に学ぶ会」に短期間だったが参加させてもらったことがあった。
読書会とは違うが、猛スピードで源氏五十四帖を読み進め、その中から女たちの生き方を千年以上の時空を隔てて、今日の私たちの生き方に重ねることができるという驚きの発見をした。
あとがきで本書の著者も次のように書いている。

「原稿を書くうえでいちばん大事にしたのは、わたし自身の人生が百年前の文学作品と深く結びついていたのを示すことだった」

歴史がいつも現代の歴史であるように、古典も必ずや現代に蘇るのだ。
N市では読書会も発足したが、休眠状態にあるので、いつか再開したい。



※ 読書会という幸福  向井和美 著  岩波新書(22.6)



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