源氏物語を繙くように「マルタの鷹」を精緻に読み解く

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「マルタの鷹」は、非常に難解なハードボイルド探偵小説だった。
消化しきれない謎がたくさん残った。
その構成から登場人物の行動及び心理まで、完全に腑に落ちたという感じがしないのだ。
探偵小説なら、事件の犯人、その手口、動機など真相が判明し、最後に大団円を迎える。
ところが「マルタの鷹」はそうはいかない。
予定調和、ステレオタイプ、・・・とは無縁のミステリーなのだ。

そこでダシール・ハメットの翻訳者である小鷹信光も熱心な「受講者」だったという、諏訪部浩一の「講義」を読むことにした。
秋の夜長、ハードボイルド探偵の心の葛藤を追体験し、小説そのものの構成の巧みさに舌を巻きながら、一講一講に耳を傾ける。
驚くべき深読みに唖然とし、脚注の多さに、ダシール・ハメットを攻略しようとした研究者がいかに多いかを知った。

作者のダシール・ハメットが書いているように、サム・スペードは同業の男たちがかくありたいと願った男、「夢想の男(ドリーム・マン)」なのだ。
ことに及んで、ハードボイルド探偵はいかにふるまうべきなのか。
分かってはいても、現実は錯綜し、近代的自我は、ラブロマンスや美しい予定調和と衝突する。

「マルタの鷹」で特に強く印象づけられるのは、挿入された「フリットクラフト・パラブル」のエピソードだ。
それには「特別な個人」など虚妄だとする意識が伺われる。
ハードボイルド特有の「非情」も、ロマンティックな近代的主体概念を否定するところから生まれる。
しかしロマンティシズムを排除して、人は「非情」だけで生きていけるものだろうか。
「非情」もまたロマンティシズムの鬼子のように見えてこないか・・・

「講義」を読んでなお、底知れぬ深みを感じるのは、「マルタの鷹」が紛れもなく文学である証だろう。
エンターテインメントであるはずの探偵小説に唐突に語られる、フリットクラフトの挿話から、例えば「ゴドーを待ちながら」のような不条理劇への里程は今一歩という恐さもある。

両大戦間に隆盛をみたハードボイルド探偵小説には戦争の影が濃いと言われる。
不条理そのものの戦場で、個人など問題にされない。
ましてや近代的自我など。

サム・スペードが他の探偵とは違い、シリーズ化が不可能だったのも、予定調和的な様式美を否定した「故郷喪失」の物語だったからだというのが、諏訪部浩一の見方である。


※ 『マルタの鷹』講義  諏訪部浩一 著  研究社(’12.3)

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