近況報告 手術をふりかえって

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診察室に入るなり、H先生がパソコンの画像を観ながら、頭を抱え込んでいる姿が目に入った。
「〇〇さん、これは難しい手術だよ~」
私の方が、未だ痛みもなかったので、平静に受け止めていたように思う。
H先生は、亡くなられたY先生のあとをついで、ことの流れで私を診るようになっていたのだが、これまでの経緯をすっかり知っているわけではなかった。
今思えば多大な負担をかけてしまった、という気もする。

話せば長いことになるので、大幅に割愛して、昨年の手術から書いておこうと思う。
きちんと記録しておく必要性を感じるのは、手術前後から底なしの無気力に陥り、メモ程度のものさえ、一切残してないからだ。

H先生は、この病院には設備がないという理由から他院を紹介された。
紹介先は、病床数800という大病院だった。
紹介元である当病院は、骨移植を必要とする手術に対する冷凍設備がなかった。
これが実は、後に手術の成否を分けることになったのだ、と私は思っている。

手術の内容は、人工股関節の再置換である。
再置換の場合、最初の置換術を行った病院で行うのが定石なのだが、これができなかったのには理由があった。
これも長い話になるのでとりあえず省略とする。

しっかり封印されていたので、紹介状の中身を私は知らない。
紹介されたM先生は、見るからに若いドクターだった。
東大理科三類出身、昔で言えばインターンと見まがうほど若々しかった。

入院して分かったのだが、M先生の手術は上手い、早い、術後のトラブルが少ないと三拍子そろっているという評判だった。
ある看護師がぼやくように漏らした一言が忘れられない。
あの先生は切る一方なんだよなあ。
実際、足かけ4か月の入院中に、手術衣以外を着ている執刀医の姿を見たことは一度もなかった。
外来診察の時も、少々くたびれたような緑色の手術衣姿だった。

最初紹介され、一度は診察予約までした他院のことを話すと
ああ、あの有名な先生ね
と、余裕の笑みをみせた。

実はこの難手術の前に、もう一方の股関節置換術を受けていた。
その時は「2週間」と自信を持って明言された入院期間が一日たりとも延びることはなかった。
順調すぎるほど順調だった、と後日、担当のPTに明かされた。
手術時間は40分。
瞬く間に自前の股関節のように身体に馴染んだ。
最初は、木の切り株に腰掛けている感じ、と違和感を訴えることもあったが
人間の身体の適応能力はすごい。
この先生なら、と次の難手術もすっかり成功する気になって、お任せする決意をかためたのだった。
(手術には)万全の体勢で臨みますから、と頭を下げた。

それから約一か月半、私は自己流の筋トレをして過ごした。


※ 高齢化にともない増えている人工股関節の手術。ご参考になればと思い、差し支えない範囲で書いて行くつもりです。




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9/17 グリーンアナベル、ケイトウ


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秋の夜長は、静かに読書をして過ごしたい・・・

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