藁布団の話

今季の暑さは殊に異常だったようだ。
「ようだ」と言うのは、運動はもっぱら館内廊下を歩くにとどめ、ほとんど外歩きをしなかったからなのだが。
それでも汗かきの私は、20分も歩くと、背中をツツーと汗がしたたり落ちる。
シーツの頻繁な洗濯は欠かせない。
そこで、肌に直接触れるベッドパッドに、麻製品を買い求めた。
中ワタも麻100%を探した。
側が麻でも、中わたにポリエスエテルを使ってあるケースには要注意。
ポリエステルわたは熱がこもるからだ。
いわゆる化繊は、扱いの楽な点を除いて、苦手である。
吸湿性のある木綿は肌について、いつまでもぺたぺたする。
柳田国男の「木綿以前のこと」
そして母が語る藁布団について思い出した。
昔はとても自然に近い生活をしていたのだなあと思う。
藁布団に寝ることは曾祖母の特権であったかのように語られると、まさに自然に近づくことが、今では得難い贅沢なのだと感じる。
藁布団には、大自然に抱かれて眠る安心と快適さがあったに違いない。
しかしそれはもはや叶えようがない。
母の実家では年に一度畳屋さんが来る度に、用意しておいた布団側に、稲の茎をしごいてとれる葉鞘をぎっしり詰めてもらったそうだ。
これが「藁布団」というものなのだが、母の話によれば子供の背丈ほどの厚みがあったというから、ベッドと呼ぶべきかもしれない。
(復元性がないので1年経てばぺちゃんこになるのだが。
この使い捨てによって更新していく文化も日本古来のものだ)
藁布団は畳むことができないので、曾祖母の寝室に敷きっぱなしにされ
その暖かさは子供たちを引き寄せる。
わいわい言って、藁布団にもぐりこんでふざける情景が思い浮かぶ。
失われた風景、喜び、そして忍耐強い手仕事の成果・・・
このホームでも、ミシンを持ち込んで、カーテンを直されている人がいる。
秋の夜長、針仕事に精を出す人がいると思えば、うれしくなる。
連想があとをひく。
砧打ちて我にきかせよや坊(ばう)が妻
芭蕉の句。
砧は秋の季語である。
秋の夜更けに聞こえる砧の音は古来、風雅なものとされてきた。
母が語る、朝まだ暗いうちから響いてくる藁打ちの音。
一日の始まりを告げるその音も、生活に密着した優雅を表していたのだと思う。
※ 冒頭の写真は、和食のおかずなのだけれど、長年の習慣でトーストに。
米が日本人の身体にあっている、という料理長の力説はもっともだ。
お腹の調子は良くなるし、塩分さえ注意すれば栄養バランスもよい。
小麦高騰の折、食料自給率アップを目指し、米食、朝は茶粥に切りかえること
にする。

木綿以前の事 柳田国男 著 岩波文庫(’79.2)
この記事へのコメント
空さんの旅行ブログ記事をたくさん楽しませてもらいましたが 外歩きできなくなったのは辛いですね。 いつか全快し旅行を再開できるよう願っています。
私もその内に外歩きできなくなると思うんで 老骨に鞭打って今の内にできるだけ旅行するように努めています。
奇しくも、最後に友人と行きたいわね~、と話していた伊根について白象さんがレポートしておられました。
資料を取り寄せ、舟屋にベッドのあるところを問合せまでしていたのですが・・・
自分の足で歩く旅は最高です。
空もつい3年前は小倉の町を歩き回っていました。