エリザベス女王の死に臨んで

P9101820.jpg



エリザベス女王が8日夕刻、死去された。
96歳という高齢でありながら公務をこなす姿に、誰もが敬意を覚えていたことだろう。
滞在先のスコットランドはバルモラル城で、穏やかに迎えた最期だったという。
英国の人々の喪失感は、察するに余りある。

エリザベス女王の死によって、英国王室の求心力の失墜は免れ得まい。
振り返って我が国をみると、昭和天皇の死が、(長い)昭和が終わった・・・
という深い感慨を日本国民に抱かせた。
そして今、エリザベス女王という他国の君主の死にかくも心を動かされるのは、その存在がいかに大きかったかという表れであろう。

日本とかの国の歴史の相違について考えさせるのは、ひとつの肉体の死が、ある歴史の終焉に等しい場合である。
まさにエリザベス二世はそのような存在だったと思う。
しばしば一個の芸能者の死が、彼が体現した芸能の、その伝達不可能性によって、ある文化の終わりを一般大衆に決定的に知らしめることがある。
失われた世界に我々が感じる喪失感の巨大さははかり知れない。
その空洞は埋め合わせのきかないものなのだ。

英王室の歴史に血塗られた過去があることはだれでも知っている。
それでもなお、というよりそれだからこそ、その歴史は圧倒的に我々を打ちのめす。
成り上がり貴族だけの国に住む身にとって、長い歴史を持つ封建君主のアウラは決定的だった。
かつて有吉佐和子は
女王様のいる国なのよ
と興奮してイギリスを闊歩したという。
「失われた時を求めて」で、ゲルマント公爵夫人が語り手に及ぼすアウラである。

翻って日本の皇室を考える時、皇室典範が改正され、愛子内親王が天皇に即位するようなことになっても、当然のことながら古代天皇制における持統女帝のような権威の残り香すら感じられないだろう。
風化する歴史とは、客観性だけではない、感情面の記憶を忘却させるところにある。


※ 冒頭の花は、グリーンアナベル、菊、ユリ、吾亦紅、パンパスグラス、ブルーブッシュ、ユーカリホポラス、ケイトウ   



P9101824.jpg
バラ、菊、スモークグラス、セファランサス、ケイトウ     9.10

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック