生物から見た世界

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夕食後は、ダイニングに腰を据え、本を読むなり新聞に目を通すなりして、小一時間を過ごすことにしている。
6時半を過ぎると、おやすみなさいの挨拶を交わして、ほとんど自室に引き上げてしまうので、ホームの夜はとても静かで長い。

サッシで遮られているはずなのに、どこからか虫の音が密やかに忍びこむ。
耳を傾けると大合唱にまで高まり、ふと、人間以外の生物を隣人のように感じるひとときだ。

日中はわんわんとあれほど鳴きしきるセミの声にも、命そのものの神秘に触れることはない。
秋の夜長のマジックだろうか。
一寸の虫の命と吾の命が等価に感じられ時間・・・
それは奥深い共感のようなものだ。
命という点で同列に置かれる生物が、異なった姿をとって存在していることを不思議に思う自分がいる。

「生物から見た世界 ―見えない世界の絵本」を読んでいる。
どんな小さな、単純な生物にも、それぞれ固有の「環世界」があり、客観的世界などないことを、われわれ人間は知らなくてはいけない。
そのような多くの視点、視界、世界があることを意識化することで、人間の傲慢は諌められ、却って人間の生活は豊かになるだろう。
この生物学の著作を離れても、「知らないものは見えない」という言葉が思い出される

「針刺せ、糸刺せ、綴れ刺せ」と季節の変わり目に女たちを駆り立てるツヅレサセコオロギ。
エンマコオロギはコロコロと鳴き、ツヅレサセコオロギはリリリリと鳴く。
衣に追われる女たちは、夕食後裁縫道具を引き寄せて、秋の夜長、針仕事に勤しんだ。
ツヅレサセコオロギの声に焦燥感を募らせたとよく語っていたという伯母。
祖母のつくろったつぎ当ての美しさについて語るのは母だ。
そんな女たちの思い出も、小さな昆虫の「環世界」と無縁のようでいて、寂しいような限界を精一杯生きているのは同じだ。

※ 生物が見た世界 ユクスキュル/クリサート著 岩波文庫(’05.6)


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9/1防災の日に、缶詰のパンをフレンチトーストにしたおやつを頂きました。

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ドウダンツツジ、ピスタチオ、マグノリアなど、グリーンの枝物中心の、涼しげなアレンジ。
バーナード・リーチ風の陶器を配し、視線を半ば遮る目隠しを兼ねている。

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