モード後の世界

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そろそろおしゃれを楽しむ季節が近づいてきたというのに、服が売れない、という。
流行がないから、何を着ても自由だから・・・と。
断捨離が提唱され、一度モノを捨てると、今度買うのを控えるようになるのは当然だ。
もの選びに慎重になる。

白洲正子は晩年に、おしゃれは虚栄よ、と喝破した。
あんなにおしゃれだった人が、である。
といってもいくぶん自嘲気味の皮肉であろう。
おしゃれを虚栄と言ってしまえば、人間のすべての表現が虚栄になってしまうだろうから。

またコロナ、ウクライナ、自然災害の頻発という、人間の生存そのものが脅かされている時に、服装にこだわるのはリアリティがない、と誰でも感じているに違いない。

今夏は同じメーカーのアロハドレス4枚を、とっかえひっかえして過ごした。
ウエストをしぼらないワンピースは煙突効果で涼しく、快適だった。
柄はそれぞれ、ヤマボウシ、レンンゲショウマ、トウガラシ、月下美人。
全自動のドラム式洗濯機でがんがん洗ったけれど、何度も水をくぐりながら、色が褪めなかった。
紫外線に当てなかったせいもあるかもしれないが、さすがに日本の染色技術は凄い、と再認識した。

ユナイテッドアロウズの創業者の一人、栗野宏文の主張に耳を傾けると、日本人は縫製技術、染色、織り、その他の手仕事に愛着があるので、ファストファッションが売れなかったのも分かるような気がする。
洋服のプロのバイヤーが、「どうしたらおしゃれになれますか」と聞かれて、まずは「買わないこと」と答える。
本当に自分に似合うかどうか吟味することだ。
夢を買うのと自分を知るのは違う。
バブル期を経て、それを学んだ人もいるだろう。
ブランド志向は虚栄心と、高みを目指すことを躊躇しない欲望だった。
(しかし、それは本当の「高み」ではなかった)

それに比べると、私の世代は「チープ・シック」という逆の気どりがあり、ブランドに背を向けていた。
奇しくもココ・シャネルは、シックとは金持ちに見えないこと、と定義した。
(三菱一号館美術館でシャネル展が開催中だ)
チープ・シックの価値観は、当時の私にとってとても刺激的で共感できる考え方だった。
本書の天野氏がすすめるマイ・ヴィンテージは、私の服に対する思いと同じだ。
未だに引越しの度に失われた、手作りの服のことを思い出す。


※ モード後の世界  栗野宏文 著  扶桑社(’20.8)


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チープ・シック  草思社(’77.4)

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