ダシール・ハメットを読む

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生涯にハードボイルドミステリの長編は5作しか書かなかったというダシール・ハメットが、自ら最も気に入っていたという作品が「ガラスの鍵」である。
よく知られているのは、ハンフリー・ボガード主演、ジョン・ヒューストン監督で映画化された「マルタの鷹」だろう。
ミステリに文学を求めるのは読者だけではない。
作者が読者以上に創作物への思い入れが深いのは当然のことである。
その作者が、「マルタの鷹」でも「血の収穫」でもなく、「ガラスの鍵」に愛着を持った理由は何だろうか。

「短編ミステリの二百年2」には200ページ以上にわたる解説がついているのだが、それによればハードボイルドの誕生は1922年とも1923年ともいわれる。
第一次世界大戦後であり、禁酒法の時代であった。
それまで粗悪な大衆娯楽のための産物と考えられていた(なかには良品も少なくないという意見あり)パルプマガジン誌掲載の作品から、やがて文学作品とも古典とまで言われる作品へと完成されてゆくのは、ひとえに作者の、まだハードボイルドと名づけられさえしない、あるスタイルに対する信念と愛情があったからこそだと思う。

ハメットの後でチャンドラーを読むと、確かにハードボイルドの洗練の過程が分かるような気がする。
チャンドラーの台詞は気障過ぎるかもしれない。プロットはすっきりしていて読みやすい。
ハメットは実際にアメリカ大手の探偵社で働いていた経歴があり、作品中の人物にはすべて現実のモデルがいるという。
バイオレンスともノワールとも称される作品世界は出血を厭わない。
躊躇せず暴力が振るわれる。
それが実際あった事件だからこそ、生々しく、読者は日常の倫理観そのものが危機に瀕したかのように錯覚されるほどだ。
ハードボイルドはことごとく戦争の影を引きずっていると言われる。
不条理に対するささやかな抵抗こそハードボイルドか。
作中の探偵はきちんと確定申告もする。
お金にきれいであるのは、昨今の政治家都などとは大いに違うところだ。

「・・・二百年」の解説にはクロフツやヴァン・ダインと同様、病を得たことがきっかけでハメットもまた文筆を目指したことが述べられている。
今日では最初から食べるためにものを書こうという人はまれだろう。
いつでもぎりぎりのところで生きているから、ハードボイルドが生まれる。



※ ガラスの鍵  ダシール・ハメット著  池田真紀子訳
                     光文社古典新訳文庫(’10.8)



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短篇ミステリの二百年 2 チャンドラー、アリンガム他  小森収編
                           創元推理文庫(’20.3)

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