漂流怪人 きだみのる

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嵐山光三郎著「漂流怪人 きだみのる」を読む。
この読書からは、「モロッコ」や「気違い部落周遊紀行」を読んだ時の昂揚感とは別の感想を抱かされる。
それは編集者として嵐山光三郎の客観的な視線が捉えた人間きだみのるであり、その人間関係の葛藤であった。

きだみのるは、自由奔放にその精神を発露させ、旅へと赴いた。
何よりも自由を優先したきだみのるは、その代償の大きさを誰よりもよく知らずにおれない人であり、覚悟の上でそれを甘んじて受け入れた人だ。

一方、三好京三の「子育てごっこ」はよく知られており、私も題名くらいは知っている。
しかし、三好京三の養女が、きだみのるの実子「ミミ」であることに愕然としたのは、あまりにも私のもの知らずと言うべきか。
きだみのるは、その「男装の小公女」と東南アジアを旅した。
養女となった後、ミミが、数々のスキャンダルにまみれ、風聞の的になったことは、本書に詳しいが、私はそれも知らなかった。

自由の重さを知るが故に、胆力に欠ける私たちは自由を徹底させることを避け、互いを気遣う村社会で、どんぐりの背比べをしているのではないだろうか。
それはそれで群れることによってサバイバルする動物としての知恵だろう。
きだみのるにしても、共産主義者は資本論より先にまずファーブル昆虫記を読め、と言っている。
現実探求のリアルな目を養え、と言うのだ。
本能は生命の根本であり、大いなる宇宙摂理に通じているはずだから。

個人の自由は、社会の福祉や平和を時として侵犯する。
それでも「自由」という理念が無疵でいられるのは、あるいは自由のなかに、さらに高度なヒューマニズムが潜んでいるからではないだろうか。
だから「大人」は自由という概念を平気でもてあそぶことができるのだと思う。

いずれにせよ、きだみのるの旅行記は凡百の体験記とは異なっている。
かざりけのない平明な文章は明晰で、感傷とは無縁だ。
旅へと誘う風のように、しぜんな憧憬を呼び起こす力がある。

三島由紀夫の死後、フィクションか暴露本か定かならぬ書物が出版されている。
三好京三の著作にも、その傾向があるのかどうか、幸せなことに私は本書で知る以上のことを知らない。

過去のページに以下を掲載しています。
幻の「モロッコ紀行」とは
https://freeport.seesaa.net/article/201102article_2.html

※ 漂流怪人・きだみのる  嵐山光三郎 著  小学館(’16.2))

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