老いをみつめる 老人ホームの日常

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X氏がA氏に、私が遭遇する限りでは、2度目の談話を試みている。

「ところで、奥さんはどうされました?」
「まだ病院です。面会ができないので」

昼下がりのダイニング・ルームでこんな会話が交わされる。
実はA氏の奥様は、昨年すでに他界されている。
A氏の意向で、ホームの住人には敢えて伝えられないままだ。
風聞で知った人も、A氏との付き合いのなかで、その話は封印されてしまっている。
何となく気まずく、打ち解けた話ができない。

人の死はしぜんなことである。
老いて、平均寿命を越えての往生となれば、喪失感も諦めという名の癒しで償われる。

それが老人ホームでは、ネガティブなニュースととらえられる傾向がある。
皆でお悔やみしたい、という願いはかなわず、宙吊りのままだ。

A氏の気持ちはどのようなものなのか。
親交の浅い住人たちだが、同じ釜の飯を食う仲である。
命の儚さを思い知り、寂しさも一入だ。
一方、A氏の心の内が推し量られるような気もする。
私は悔やみの言葉を言うのも聞くのも苦手である。
できれば無言で通したいほどだが、そうもいかない。

1年7カ月余の間に、二人のお仲間を喪った。
最近具合が悪く、自室に食事を運んでもらっている人もいる。

元気な姿を見せていても歳は争えない、ということがここへ来てよく分かった。
老母の日常が気になり、電話をする。
相変らず、能天気な明るい声を聴いて、いっとき安心する私がいる。


※ 冒頭の写真はエレベーターホールの花
  
  明後日より実家に帰ります。
  一カ月近い滞在になりますので、ブログはしばらくお休みします。
  またお会いしましょう。

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