老いをみつめる

P1151566.jpg


老人ホームで生活するということは、紛れもなく老いを見つめつつ、自分に残された時間について考えることだと誰しも思うだろう。
ところが、日々は人間臭い出来事を満載しながら、無自覚に流れてゆく。

若いTさんは、まずは介護福祉士の資格を取るために勉強中だ。
一方、仕事は仕事で、待ったなしで種々の介護とサービス、環境整備という名の清掃などに、明け暮れる。
夜勤も少なくない。
住宅型のホームで、体力にまだ余裕のある利用者は、Tさんを励ますのだが、一抹の後ろめたさが過らずにはいない。
すべてのサービスには対価が伴う。
だからといって、若者の奉仕(労働)を当然の如くに受け取れない、滓に似た負い目が残るのだ。
家族や夫婦、恋人たちの間に介在するとされる愛という名のイデオロギー。
愛は常に対価を伴う笑顔(しばしば職業的)に勝ると言えるのだろうか。

「介護がしたい」と言って、当ホームを辞めた人がいた。
「どんなにがんばっても家族のそれとは違うんですよねえ」とため息をついていたのを思い出す。
それはそれで、尊い奉仕である。
ほとんど本能と呼ぶべき行為である。

人類の歴史のなかで、介護あるいは老いはどのようにとらえられ、老人はどのような待遇を受け、看取られてきたのか。
その断片的事実から、私たちもどう振舞えばよいかを学ぶことになるだろう。

大晦日だったか。
お風呂に行こうとして、間違ってロビー階のボタンを押した私は、開いた扉から、トレーナー姿も甲斐甲斐しく、たったひとりで正月の設えに奮闘するTさんの姿を目撃した。
目が合うと、照れくさそうに笑った。
静かな夜だった。

孤独な夜勤が明ければ、住人たちは、緋毛氈の上に美しく飾られた花と、お屠蘇セットが行儀よく並んでいるのを目にするばかりだ。
新年を迎える清々しい気分とともに。

※ 冒頭の写真はエレベーターホールに活けられた花
  蘭を入れると全体が引き立つと、生け花担当Kさんの言葉。

P1151571.jpg
1月15日のレイトショーは「釣りバカ日誌」
22作品中の第一作(1988)を上映。
観客は男性2名に私だけ。
ビギナーであるはずの会社社長(三国連太郎)の釣り姿の方が堂に入っている。
かつて三國連太郎が「東洋のジャン・マレー」と言われたことを知っている人は今ではどれくらいいるだろう…

P1161572.jpg
1月16日の昼食 豚ばら大根 青梗菜の煮浸し きんぴらごぼう


P1161575.jpg
1月15日 ガーベラ ユーカリ コアラリーフ ミモザ モカラ スプレーバラ ベアグラス カーネーション


P1161580.jpg
1月15日 アマリリス ボケ

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック