さらば愛しき女よ

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村上春樹訳の「さようなら、愛しき人」(レイモンド・チャンドラー著)を読了まで30ページほど残したまま、旧訳(清水俊二訳)の文庫本をカバンに入れてタクシーに乗った。

実家と往復していると、リモートワークの難しさが推測できる。
二か所に分散した資料の双方が必要な場合、まだペーパーレスに完全に馴染んでいない社会で仕事を完遂するために出社するのはやむを得ないだろう。

そんなわけで、期せずして、村上春樹と清水俊二の翻訳を比べることになった。
レイモンド・チャンドラーの作品の描写のすばらしさは、村上春樹も絶賛するところだが、皮肉の効いた台詞、シニカルな人生観、絶妙な比喩、…etc.は甘く、切ない人生を切り取って、小説を読む楽しみを存分に堪能させてくれる。

人物描写は真に生き生きとしていて、まるでフィルム・ノワールを観るがごとくである。
最初は売れなかったというレイモンド・チャンドラーだが、日本でも最初に翻訳したのは、探偵小説の専門家ではなくアメリカ映画畑の翻訳家だったという。
字幕スーパーでお馴染みの清水俊二訳は、ひとめで読み取れるテンポの良さという点で、まさに映画的だ。
村上春樹は逐語的な訳し方で、作者へのリスペクトと愛着が感じられる。
原文の味わいをより濃厚に残しているのではないだろうか。

いずれにしてもフィリップ・マーロウという一匹狼の探偵の生き方に、読者はぞっこん魅せられてしまう。
畳の上では死ねない、とは彼のようなヒーローのことだ。
現実と理想の間には、深い溝があり、読み手はその隔たりを意識しながら、理想は理想として深く心の淵に秘めて生きていくのだと思う。

チャンドラーの小説のある人生と、チャンドラーの小説のない人生では、確実にいろんなものごとが変わってくるはずだ。

翻訳者村上春樹の言葉である。
コロナによる驚異のさなかで、人間どうしの葛藤の物語を読むことは、逃避だろうか、或いは単なる懐古趣味だろうか…


※ さようなら、愛しい人 レイモンド・チャンドラー著 村上春樹訳
                        早川書房(’09.4)


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さらば愛しき女よ 清水俊二訳 ハヤカワ文庫(’76.4)

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