ホームへ帰って 近況報告

ようやく冬が来た!
いつまでも暖かな秋だったけれど、ホームに帰ると、もうクリスマスツリーが飾られていた。
コロナに翻弄される日々にあっても、クリスマスはやって来る。
平常を装う生活の足もとから何かが変わっている。
お互いに口には出さなくても、不安を抱いているのが感じられる。
朝会でも、ネガティブな話題はあえて避けられる。
私はやり残していた仕事を終え、わずかに解放感を味わっていた。
確定申告書用紙の第一表の欄外に
新型コロナウイルスによる申告納付期限延長申請
と書き添え捺印すると、茶封筒に入れて、スタッフに投函を依頼する。
家族を含め三人分、ややこしい確定申告作業を終えた。
今さらながらに怠惰な自分を反省する。
コロナ禍に乗じて、面倒な仕事は先送りにしていたのだ。
実家に行っている間、Oさんが亡くなられた。
心筋梗塞だったのだろう。急死だという。
夕食後の静まり返ったダイニングの一角、ささやかなライブラリーに
お借りしていた本を家庭画報のとなりに並べて、改めてご冥福をお祈りした。
数日前、Oさんの部屋から、いくつもの布袋が台車に載せられて出ていくのを見て、不審に思った人がいた。
そして、ようやくOさんの死が皆さんに知れ渡った。
あの袋の中に、私がお貸しした源氏物語の資料も入っていたことだろう。
Oさんはかなりの読書家だった。
妹とははるかに年が離れていたので、子どもの頃から一人遊びが好きだったという。
琴は師範の腕前だったようだが、自室ではギターを弾いていた。
その音色を聴く機会もないまま、逝かれてしまった。
年とともに、何か落とし物ばかりしているような気がする。

金曜日ごとに変わる花のアレンジ
11月27日 ワイン色のトルコキキョウ、エリンジウム、ベージュのスプレーバラ、スプレーカーネーション、ブルースター、グレビレア(オーストラリア産)

サンゴミズキ、グラリオサ、アランダ(台湾産ラン)、ハラン

11月27日、金曜日の夜7時
レイトショーで「永遠の門 ゴッホの見た未来」を観る。
何度も映画化されていて、言い尽くされた感のあるゴッホだが、深さは引用できない、という言葉通り、ゴッホの見た世界は、やはりゴッホの目にしか見えない世界だと思った。
映像はそれを追体験させてくれるスリルに満ちている。
映像には神が遍在していた。
一神教の風景…
仏教文化圏に生まれた私たちとは異質な世界だ。
ゴッホは、死後開かれた個展で、キリストに擬せられている。
芸術は狂気を補完するものだろうか…

11月27日、昼食のメニュー
油林鶏(ユーリンチー)、焼売、中華スープ、もやしとピーマンのナムル

11月27日 プライマリー・ウォーキングの講座が開かれる。
踵に重心をおき、足もとから順に身体のパーツを積み上げていく感じ。
無駄なエネルギーを使わない歩き方になるという。
要は、筋肉が血流やリンパの流れを妨げない歩きを心がけるということらしい。
隣りの人が、トイレさえ行ければいいのよ、と本音をちらり。

アレンジが変わる前に少し疲れた花を撮影
バラ、スプレーマム、オレゴンモミ、エリンジウム、アカシア(ミモザ)、レースフラワー、ユーカリ

けいとう、スプレーマム、ユーカリ、赤のドラセナ
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