長いお別れ キンモクセイの香る日に

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昼下がり…
もうだいぶ夕方近くになって、散歩へと誘われた。
門扉の横にあるポストの夕刊を取るため、いつものように玄関ドアを開ける。

ようやく冷涼になりはじめた大気のなかへ出てゆく刹那
懐かしいと同時にはっとするほど新鮮な香に襲われる。
鼻腔をくすぐるというより突然、全身がその香に包まれている。

静かな、内省的な季節のはじまりだ。
年がめぐるごとに経験するのだけれど、その度に目と心を覚まされる。
何か大切なことを思い出しそうになって、次の瞬間にはすべて忘れ去られている。
それが香によって知られるキンモクセイの密やかな開花だ。

隣家には大きく刈られたキンモクセイとギンモクセイが並んでいる。
健康で疲れを知らぬ人にも、病で力なくうなだれている人にも
同じように訪れる。
老いも若きも
その季節の訪れを、この香で知ることになるのだ。

読書家にとっては、時間が無限にあるように思われる季節。
孤独な人、病を得て苦しんでいる人でさえ、何か宇宙の彼方から来迎するものの実在を感知して、諦念とともに満ち足りた安寧を覚えるのだ。

ギムレットには早すぎる

突然こんな言葉が過った。
清水俊二約の「長いお別れ」の余韻が残っていたせいかもしれない。
お酒にまつわる台詞が、夕暮れ時の微妙な時の経過を語っている。
一日の時の流れは、人生の各ステージになぞらえることができる。

そういえば、レイモンド・チャンドラーの同じ本を新たに翻訳した村上春樹。
今年もノーベル文学賞を逸したようだ。
受賞したのはアメリカの女流詩人だった。

樹木が色づき、やがて来る冬を迎える準備の季節、ミステリーと詩を読むにはうってつけだ。

夜は長いが、読む速度は年々遅くなっている。
行間を味わう楽しさを知るようになったから…
というのは、いささか負け惜しみだろうか。
持ち時間は確実に減ってゆくのだから。
しかし、それももうどうでもよいのだ、という気もする。


※ 長いお別れ レイモンド・チャンドラー 著 清水俊二 訳
              ハヤカワ・ミステリー文庫(’76.4)

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