フェルディナント・フォン・シーラッハ著「犯罪」

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まさに短篇のお手本のようだ。
起承転結。
さらに最後の一行にこもる余韻…

その客観的で、簡潔、明晰な表現の謎は、さりげなく作品の中に挟まれた次の叙述に伺われる。

まちがった物言い、感情の吐露、まわりくどい言い回しなどはマイナスに働く。大げさな最終弁論は前世紀のものなのだ。ドイツ人はもはや情念(パトス)を好まない。これまでうんざりするほど大量に生みだされてきたからだ。
                         「エチオピアの男」より

これは、法廷の弁論についての意見だが、著者の作品における著述態度に通じている。
ハードボイルドな文章は、語り過ぎることを嫌う。
行間にもの言わせる手法は、法律に則って犯罪を裁く法廷という場で起こり得る不条理をあぶり出す。
人間を裁くのではなく、罪を裁くのだということを…

よく知られるように、著者のシーラッハは刑事事件弁護士である。
「コリーニ事件」を担当して、ドイツ司法のスキャンダルに迫った。
フィクションが政治を動かすことになった事例として特筆される。

日常的にコンプライアンスという言葉をよく聞くようになった。
法令を遵守していれば何をやってもいいというわけではない。
正義は法にあるのではなく、人間の価値を問い続け、法をツールとして使いこなす人間のなかにある、ということを改めて考えさせる。
そして、それは永久に明確な答えを得ることができず、ただひたすら「問う」文学の役割となった。


※ 犯罪  フェルディナント・フォン・シーラッハ 著  
                 創元推理文庫(’15.4)

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