母の遺産 新聞小説


「新聞小説」という副題がついているが、主人公の祖母が尾崎紅葉の「金色夜叉」に夢中になり、その切り抜きを保存して何度も繰り返し読んでいたというエピソードを発端としている。
「金か愛か」という通俗小説の主題は、実はとっても重要なことだ。
通俗とばかり切って捨てられない最大のテーマが、本書「母の遺産」でもリプレイされる。
そして「母の遺産 新聞小説」もまた、2010~2011年読売新聞に連載された新聞小説である。
生憎私には、新聞小説を読むのを楽しみにしていたという経験がない。
著書の水村美苗は同年代なので、多分に私小説的な内容を含んでいると推測される本書に描かれた主人公の母や祖母もまた私の母や祖母とほぼ同じ世代に属するだろう。
祖母はどうだったか知らないが、私の母はインクのにおいの漂う新聞を手にするや、真っ先に小説を読み、そしてランドセルを背負って学校に行くのが日課だったという。
ようやく文字を読めるようになった小学一年生が、である。
内容はともかく文字を読むこと自体に興奮していたのだろう。
印刷されたメディアの溢れている時代からすれば、当時の新聞小説は子供にとっても活字の娯楽媒体として貴重なものだったとわかる。
因みに母の実家でとっていたのは朝日新聞。
軍国主義を鼓舞したあの朝日新聞である。
(そして母もまた典型的な軍国少女に育っていったのだが)
当時、新聞小説の影響の大なることは、主人公美津紀の祖母にとって、小説がその後の人生の指標のごとくになり、現実と区別がつかなくなったかのような一生を送ったことによって知られる。
総ルビのふられた活字は、無教養の、元芸者という出自の祖母でも十分に読めたわけである。
まるでボヴァリー夫人のように恋愛小説が、現実の恋愛と結婚をかたちづくった。
新聞小説がその後単行本化されたものでは、有吉佐和子の「複合汚染」が記憶に残っている。
高度経済成長期という時代を映す鏡のような小説だったが、ルポルタージュともいえる作品で、小説の自由度の高さの方に感嘆した。
小説にはこうであらねばならない、という定義などない。
特に新聞小説はテレビの朝ドラと同じで、全体の構成より読者の興味をどこまで引っ張ってゆけるかが主眼になるだろう。
何でも盛り込める。
本書は、老いた母親の介護が主題だけれど、人間ドラマと同時に介護の手引書のようにも読めないこともない。
母親の特異な性格、母娘の葛藤、介護と離婚にまつわる経済問題、自分自身のこれからの人生、…だれでもどこかしら身につまされて、一気に読み終えてしまうことだろう。
「日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で」で開陳された著者の思いが、新聞小説のかたちを借りて、リプレイされている。
※ 母の遺産 新聞小説 水村美苗 著 中公文庫(’15.3)
この記事へのコメント