「コリーニ事件」を読んで

28765746_1.jpg



久々に推理小説を手にしてベッドにもぐりこむ時の期待感は格別だ。
映画化もされた、フェルディナント・フォン・シーラッハの法廷もの「コリーニ事件」。
殺人事件の被告が動機について黙秘しているため、前半部にスリリングな展開はみられない。
後半に入ると俄かに進展を見せ、過去に遡って現代史の闇が暴かれる。
この辺り、少しでも言及するとネタバレ必至なので、控えねばならないのが残念だ。

歴史的事実に取材していても、本質はフィクションである。
だからこそ、事実は小説より奇なり、というその言葉通り
著者自身や学友の父や祖父が当時事件と無関係とはいえない重要な地位についていたことを明かす「訳者あとがき」こそ、皮肉な歴史の結末であり、推理小説における驚愕の種明かしのようでもあった。

「おれの国に、死者は復習を望まない。望むのは生者だけ、という言葉がある」

被告人は弁護士にこう語った。
何と深い、含蓄のある言葉だろうか。
人が人を裁く法廷の正義と、生身の人間としてのそれはまたおのずから異なるはずだ。
人が設けた法廷よりいつでも上位にある道徳、人間の尊厳について考えざるを得ない。

フェルディナント・フォン・シーラッハ自身が、辣腕の刑事事件弁護士である。

以前、友人に誘われて、高等裁判所の法廷を傍聴したことがある。
法廷が隣り合わせにずらりと並んでいるのを見て、何と多くの人間ドラマが繰り広げられているのだろう、と思った。
裁判という、秩序を維持するために不可欠な装置は、人の歴史と同じくらいの長さを持つに違いない。


※ コリーニ事件  フェルディナント・フォン・シーラッハ 著  創元推理文庫(’17.12)


P8111295.jpg


P8111291.jpg


P8111292.jpg


P8111294.jpg


8月11日
東京都心の気温が37度を超えたこの日、ホームで納涼祭が開かれた。
スタッフ全員、揃いのはっぴ姿で雰囲気を盛り上げる。

料理長が腕によりをかけたメニューは、うなぎのちらし寿司、夏野菜の天ぷら、鱧の湯引き、冷やし鉢、煮麺。
(関東の人間はめったに食べないが、鱧は関西の夏の食材として、欠かせないものだ)

ビールをいただいてほろ酔い気分…
かき氷、チョコレートファウンテンが、子供心に還らせる。

コロナ禍により、来客の限られた集いだったが、スタッフの心遣いに感謝!

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック