ジェイン・オースティンの読書会

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ジェイン・オースティンの長編小説6作を読みすすめてゆく読書会について綴られた書物である。
読書会のメンバー6名は、ジェイン・オースティンの作品の中に登場する人物を批評しながら、各人の生活や意見も語られる。
一種のメタノベルと言っていいかもしれない。
ジェイン・オースティンに捧げるオマージュであることは確かだ。

小説の重要なテーマのひとつがラブロマンスであることに反論はないだろう。
しかし「恋愛」以上に「結婚」が主題となる小説に果たして読者は魅力を感じるだろうか。
古い文庫本「高慢と偏見」を書棚からすぐに見つけ出せる私も、ジェイン・オースティンとはほとんど無縁に過ごしてきたように思う。
恋愛は非日常のドラマだが、結婚は現実そのものであり日常を離れることができない。

巻末に6作品のあらすじと、「さまざまな反応」として同時代から現代の作家までのジェイン・オースティン評を付しているのが興味深い。

ヴァージニア・ウルフの言葉が特に印象深い。

1800年ごろにこういう女性がいたのです。つまり憎悪も、恨みも、恐れも、抗議も、説教もこめずに小説を書いた女性がいたのです。これはシェイクスピアの創作態度と同じだと思います。
・・・・・・

ヘンリー・ジェイムズは次のように喚起力に富んだ表現によって、オースティンを批評している。

ジェイン・オースティンが死後これほどの人気を得た鍵は、彼女の腕前の並外れた優雅さにあるが、実はこの優雅さは、無意識から生まれた優雅さである。たとえばたぶんこんな感じだ。彼女は創作に行き詰まったり当惑したりすると創作を中断し、刺繍仕事を始めて空想に耽る。そしてその編み目を落としたような部分が、想像力豊かな名人の腕前として称賛されるのである。

シャーロット・ブロンテは、偉大な作家ではあるが詩人ではない、という意見に対して、
詩心を持たない偉大な作家なんているのでしょうか?
と、反論している。
一方、マーク・トウェインやジョゼフ・コンラッドなどは、オースティンに敵意でもあるのかというくらいのマイナス評価を下している。

ジェイン・オースティンには確かに冷淡なところがあるかもしれない。
冷静、冷淡、共感を求めない客観描写が、小説の目利き、批評家や文学者たちの知性を魅了する、という見方が一般的なものだろう。
同時代に起きたフランス革命すら触れることなく、19cイングランドの田舎の中流階級を描いた。
特に女性の結婚問題に焦点をあてて進行する物語の普遍性に、今の読者も驚かざるを得ない。

オースティンの次の言葉がすべてを語っているように思われる。
「君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い」

本書は、読書会の効用についても書かれた書物だ。
オースティンにならい、読書会のメンバーもハッピーエンドを迎える。


※ ジェイン・オースティンの読書会 カレン・ジョイ・ファウラー著
                  ちくま文庫(’13.11)

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