「金重元郎の世界」を観に、モノギャラリーへ
陶芸作品を観るために、吉祥寺のモノギャラリーを訪ねた。
作陶家の金重元郎氏は備前中興の祖といわれる人間国宝、金重陶陽の四男である。
金重元郎氏は備前ではなく、三重県の茶畑近傍に登り窯を設け、伊賀の土を使って作陶しておられる。
会場で学生時代に陶芸を学んでいたKさんと待ち合わせ、一緒に元郎氏の話を伺うことができた。
飾り気のない率直な人柄に感銘を受けた。
一般に、文は人なり、というけれどどんなジャンルの作品でも、産み落とされた作物は、作者自身の「人」を反映するものだ、とつくづく思う。
計算と偶然が作用する焼き物の世界でも同じではないだろうか。
元郎氏は、人の手に渡ればもうその人のものですよ、とおっしゃる。
作品が一人歩きしはじめるのもまた、創作の世界に共通している。
釉薬をかけず主に灰釉によって浮かび上がる景色…
私にとって、その世界は天空、宇宙、神羅万象を包摂している。
だからKさんも言うように、見飽きないのだ。
観る人の心を映す鏡ともいえる。
まるで今発掘された古代の器のようにもみえる。
ススキとシュウメイギクが楚々と活けられていた。
奥様が元郎氏の茶碗でお茶を点ててくださった。
こちらは釉薬をかけて焼かれた、青磁の色合いの涼しげな茶碗だった。
底の方に橙色の点が散り、茶褐色の斑点とともに、きれいな景色をつくっている。
遠慮がちにお値段を伺うと、12万円とのこと。
登り窯による焼成は100時間に及び、大量の松材を消費するそうだ。
単なる土くれが硬質の貴石のような肌合いをもつものへと変貌する。
そのために費やされるエネルギーは人智も含め膨大である。
しかし森林があれば、人為によって排出されたCO₂を十分吸収してくれる。
そんな自然の循環についても話題になった。
不穏な雲行きの夜空に浮かぶ半月。
それがもらす光は源氏物語が書かれた平安時代と何の変わりもない。
元郎氏の作品は宇宙を眼前にみせてくれているようだ。
そんな時間を持てたことを感謝した。
帰る道々、粉引の白い皿のことが気にかかった。
お小遣いで買える値段だったことと、薯蕷饅頭でも金団でものせて、お月見をしたいな~、と思わせるふだん使いの器だったからだ。
後日モノギャラリーに電話をして、一点だけ残っているというので取り置きを依頼したのは言うまでもない。
この記事へのコメント
1枚だけ残っていたのも、縁を感じます。
ところで、お茶碗、12万円ですか・・・ウリ坊だったら緊張してお茶の味が分からなくなってしまいそうです(笑)
作家ものは何故あんなに高いのかしら…
素朴な疑問ですが、今回、作品を拝見して、金重氏からお話を伺い、納得しました。
作家が心血を注いだ作品に12万の値がつくのを、高いと思うか安い方だと思うか、人それぞれでしょう。
市場価値ではなく絶対価値は、所有者が発見するものなのですね。